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命を裁く時(黄金の太陽7回目)

テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

短い秋はまたたく間に過ぎ、三度目の満月がめぐった頃、
フェフの尋問は拷問へ切り替わった。
その指揮を父のヤヴンハール・イーサに任せ、ライゾは
来春への準備に奔走する。
まずは周辺各国の反応を監視し、その動きを調べ上げること。
それにもイーサが使役していた間諜たちが役立った。
アルギスの死と共に公務を離れたイーサが、それまでに築いた
情報網は、今は妹のヤヴンハール・エフワズのもとで機能している。
次に、各港に上陸している海賊たちに宿舎と食料を確保し、
召集できる状態を整え、場合によっては模擬訓練も必要になる。
航海をしない冬は、船の修理と整備、新造船の季節でもあり、
さらに港を閉ざすわけにはいかない海洋国家で、水際の警備も
強化しなければならない。
それに加えて、国が管理する鉱山の来年の採掘計画など通常の
仕事もこなさなければならず、慣れない日々の責務がライゾの体力を
削り、フェフの苦痛が精神力を削った。
そして何よりも、傍らにイェーラの存在がないことが、彼を悩ませる。
体は疲れても眠れない夜が続き、喉が絞られたように感じて、
食事も面倒になった。

「非常につきご無礼いたします!」
冬も終わりに近づいたその朝、ライゾが仮眠していた第二執務室へ
使者が走り込んできた。
「ご報告いたします!昨日ベルカナ王バラゴの海軍召集令が発されました!」
ライゾは長椅子から跳ね起きる。
「きたか。艦隊の規模は?」
「は、おそらく全軍と思われます!」
「続報を頼みます。確認が取れ次第イングスにも連絡を」
「御意!」
雪は溶け始めている。
召集令が出たなら、間もなく使者が遣わされるだろう。
バラゴの宣戦布告を告げるために。もう時間がない。
けれど。
ライゾは執務机の上の紙に目をやった。
フェフの処刑命令書だ。
これまでそれに署名することができなかったのは、情のせいばかり
ではない。ひと月にわたる拷問も、フェフの口から真実を導き出す
ことはできず、どんな調査もその手掛かりを掴むことはできなかった。
フェフの背後には何もない。
まるで誰かがきれいに掃除したあとの船倉のように、空っぽなのだ。
それが不気味で、現段階での処刑はトカゲの尾を切るに過ぎないと
確信したからだ。
しかしそれにも限界がきている。
民は神殺しの大罪人の処刑を見届け、安心したがっている。
それは港に集められた海賊たちの士気にも関わるだろう。
職業とはいえ海賊たちが、暇を持て余すとろくなことをしないと
ライゾはよく知っている。
しかもライゾにとって最大の問題は、それだけではなかった。
国王弑逆の大罪には、親族連座の慣例がある。
それをいかにして覆し、彼らを、イェーラを守るのか。
どうすれば。
どうすれば。
どうすれば。
霙が降り始めた日没後、ライゾはひっそり馬で月神殿を出、ひとり
鎮魂の宮に向かった。
鎮魂の宮はアトリ山中にあるミュゼファン王家の霊廟で、
アルギスもここに眠っている。
今は入口に篝火が燃え、番兵が二人立っているそこに、ライゾが
到着すると、供回りがいないからだろう、番兵たちは少し困惑した
様子で扉を開いた。
ライゾは夜までそこで祈った。答えを求めてではない。
許しが欲しかった。
本当は、分かっている。どうすればいいのか。どうすべきか。
それをする強い決意を、得たくて祈ったのだ。
もう、決めなければならない。
その時、にわかに外が騒がしくなった。
「だめだ!今は立ち入りは許可できない!」
「お願いです、どうか!」
誰かを止める番兵の声と、女の声。
そういえば、ここはオーミの民なら誰でも入っていい場所のはず。
ライゾがいるために、止められている者がいるのだろう。
雪混じりの霙が鹿の子斑に地を濡らす中、ライゾは廟を出た。
「私はもう戻ります。その人を通して下さい。」
振り返った番兵の顔が青い。
番兵に腕を掴まれていた女が、いきなりライゾの前にひれ伏した。
「陛下!」
ライゾが何事かと見ると、女は顔を上げる。
「陛下、ご無礼の程お許し下さいませ。フォルセトと申します、
フェフの母でございます」
ライゾの喉が、ひゅっと鳴った。
「陛下のおいでを、お待ちしておりました!」
夫と義娘が蟄居中では、神殿にライゾを訪ねることは許されなかった
のだろう。出入り自由のこの場に彼女は毎日通いつめ、夜明け前から
夕暮れまでをただ待っていたと番兵が説明した。
そうまでして彼女がライゾに会いたい理由など、ひとつしかない。
「陛下、お願いでございます、息子を、フェフの命をお助けください!
どんな苦役も追放でも息子は喜んでお受けいたします!
処刑には私の命をお召しください!どうか寛大なる陛下のお慈悲を、
あの子の命だけは、どうかお許し下さいませ!」
篝火に照らされた女のやつれきった顔に、フェフの面影が重なる。
また、決意が揺らぎそうだ。
もしも父がただ人だったなら、自分が国王などでなかったら、
この哀れな母の命乞いを聞き入れただろうか。
ライゾは腰の短剣を鞘ごと抜き、彼女の前に置いた。
「いつか、私の使命が終わったとき、この命をあなたの復讐に
差し出します。」
ライゾは静かに背を向ける。
降り続く霙にぬかるんだ土を掴み、彼女は獣が吠えるように泣いた。
冷たい石の柩の中で、父は聞いているだろうか。どんな獣の爪に
切り裂かれようと、今ほどこの背は痛むまい。そう思えるほどの、
慟哭の声を。
この声を魂に刻んで、今夜、イェーラに会うのだ。
ライゾは馬首をグリームニルに向けた。

初めて訪ねるイェーラの屋敷に道を間違え、着いたのは深夜
過ぎだった。家は神殿に帰還した日、アルギスから神官の
資格と共に贈られたものだ。
大きすぎず小さすぎない、落ち着いた雰囲気の建築だ。
町中のことで庭と呼べるほどのものはないが、
馬をつなぐ場所や木には困らない。
その玄関の扉を叩くと、使用人は通いなのか、しばらくして
イェーラ本人が燭台を持って顔を出した。
「陛下!?どうしてここに、まさかお一人で!?」
慌ててイェーラはライゾの背後に視線を配る。
「つけられてはいませんね。お早く、お入りください」
その顔を見、声を聞いて、ライゾは何も言えなくなった。
霙をたっぷり含んで重くなった外出用の厚い肩布を、内玄関で
イェーラが脱がせる。
「すっかり冷えてしまって。こちらへどうぞ。あいにく火が
入っているのは寝室だけですが」
飾り気のない実用本位の調度類が、いかにもイェーラらしい。
暖かい寝室の暖炉の前に椅子を置き、イェーラはライゾを
そこへ座らせた。濡れた服を脱がせ、毛皮の掛布を寝台から取って
巻きつけ、乾いた布で髪をふいてやる。
ライゾは大人しくされるままにさせていた。
イェーラはその様子から、察するものがあったらしい。ふと、手を
止めた。
「蜜酒でも、持ってこようか」
ライゾは首を振る。
辛い。
この愛しいものに、ひどいことを言わなくてはならないことが、
とても苦しい。
「もう、耐えられない」
ライゾは一度立ち上がり、イェーラに向き直ってその足元に
ひれ伏した。先程のフォルセトのように。
「…フェフを、斬ってくれ」
それは、本来フェフの罪に連座すべき位置にいるイェーラを、
処刑人に立てることで、その免罪を周囲に納得させようということだ。
実弟でないことは周知の事実。ならば彼女が手を下すなら、
なんとかなるかもしれない。いや、必ずする。
「おまえの懊悩は、よく分かる。でも、私ごときに頭なんか下げるな。
罪人はおまえじゃない。だから顔を隠すな。
昔言っただろう?おまえが何をしようと、おまえの贖罪は私が
引き受けてやる。」
それはイェーラにとって最初から決まっていた覚悟だ。
けれどライゾは首を大きく振った。
「違う、そうじゃない。フェフを殺すことじゃない、父が殺された
ことでも、それ以外のなんでもない。ただ、おまえがいない。
おまえがいない、おまえがいない…!
…耐えられないと思ったのは、それだけだ。
だからおまえは俺を恨んでいいんだ。自分が苦しいからって、
弟をおまえに殺させる俺を。」
「それなら私も同罪だ。誰を斬り殺すことになっても、私はおまえの
そばにいたい。義兄弟の絆が許さないなら、いつでもきってみせる。」
イェーラはライゾの頬を両手で挟んですくい上げた。
「随分、疲れた顔してるな。すまない。こんな時に、そばにいて
やれなくて。
…酒がいらないなら、少し横になれ。」
人恋しかった幼い頃のように、ライゾはイェーラと並んで寝台に
丸まった。
「…おまえを、初めて見た日を覚えてる」
ライゾが問わず語りにぽつぽつと話す。
「父に連れられて海賊船に初めて乗ったんだ。
俺はまだ5歳で、バカ丸出しのガキで、それでも海と船と太陽と
海賊どもに胸が躍ってた。」
神殿の中とはまるで違う、濃い色と熱い音に満ちた世界。
波に揺られる足元のように、ライゾの世界は大きく揺らいだのだ。
「一番目を引いたのは、これ」
ライゾはイェーラの赤毛に指を絡ませる。
「この豪華な赤毛だった。海賊どもの先陣を切る15歳のおまえは
火でできた花に見えた。大輪の、炎の花。」
ライゾが、柔らかく微笑む。
「俺は父に聞いたそうだ。あれがユマラかと。」
敵からは三本足の赤鷲、味方からは陽の乙女ユミルと呼ばれた女海賊は
ライゾを見るなり、ぎゅっと抱きしめてくれた。
「そのおまえが俺のヤヴンハールになると父に言われて、本当に、
本当に嬉しかったんだ。
…ありがとう。今まで礼も言わなかったけど」
髪を弄ぶ手を眺め、イェーラは話す。
「私も、あの日のことはよく覚えてる。」
イェーラにとっては、全ての幸福が訪れた日だった。
敵船から拾われた娼婦の子など、どんな扱いを受けるか想像に難くない。
養い親が執政大臣という身分でも、イングスが後見でなければ
生きてもいられなかっただろう。
「おまえにどう見えたかは知らないけど、あの頃の私は、ちょっと
荒れてた。」
7歳のイェーラの目と心に焼き付いた、母の死。
照りつける日差しの中、甲板に散った長い赤毛。冷えて緩んでゆく肌と、
こぼれかけた眼球。母の顔から生え出したような手斧は、
オーミのものだった。
誰も知らない、母の名はシュリス。
オーミの船に暮らすことは、その母を裏切ることではないのか。
「人を殺すたびに自分を殺して、とり憑かれたように戦って、
殺しまくって、気がついたら、奴らの先頭にいて」
ユマラの申し子、幸運の乙女と称えられても、嬉しくなどなかった。
そのイェーラに託された、小さな子供。
薔薇色の頬でひたむきな愛情を向けてくる幼子を、彼女は溺れる
ように愛した。胸を炙る埋み火も、長く親しんだ冷たい孤独も、
全てはこの幼い王子に捧げる愛のためにあったのだと思えるほどに。
それからは寝食を分け合い、互いに何度となく命を救い、
共に幾人かの仲間を見送り、寄り添って生きた。
ライゾは、イェーラの生きる意味になった。
「おまえが、私を変えてくれた。…ありがとう」
けれどライゾには、まだ言わなければならないことがある。
「…イェーラ、頼みがある」
今度はイェーラがライゾの髪をなでて答えた。
「言いたいことがあるのは、顔見りゃわかるけどな。明日にしろ。
今日はもう、遅い。眠れ。」

翌朝、神殿に戻ったライゾは、フェフの処刑命令書に署名した。



つづきます。


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命を裁く時(黄金の太陽8回目)

テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

深夜、月神殿の寝所で、ライゾは高熱に見舞われていた。
天蓋の帳を下ろした寝台の外から、イェーラが見つめている。
不安で目を離すことができない。
そのイェーラに、壁際の椅子に座っているエフワズが頬杖を
ついたまま話す。
「で?どうするんだ?」
質問の意図は、イェーラの手に握られた小瓶のことだ。

三日前、フェフは処刑された。
曇天の下、その朝ライゾは双神殿の中庭に設えられた処刑場に立った。
地面を丸く整地し、肩の高さほどの木製の処刑台を置いただけの
小さな刑場は、グリームニルから詰めかけた人々で溢れていた。
門の中に入れず、塀や建物を囲む木々に登って様子を伺う者も多くいた。
獄吏に引き立てられ、処刑台に上がったフェフの姿はひどい有様で、
己が下した命令の結果に、ライゾは吐き気をもよおしていたようだ。
こびりついた血で固まった衣服は襤褸にすぎず、焼きごてにえぐられた
顔は人間の原型をとどめていない。砕けて伸びきった片腕が死んだ
蛇のように肩から垂れ下がり、片脚は潰れて平たくなっていた。
黒い頭布をつけ、処刑人の鉄仮面を被って、イェーラは彼の首をはねた。
仮面の中を流れ顎から滴り落ちた汗の感触と、内側にこだました自分の
呼吸音がいまだ頭にこびりつき、手には骨を断つ剣の感触が残っている。
血の繋がりはなくても、弟と呼び姉と呼ばれた15年間。
互いの心に消し難く存在した絆を、彼の命と共に断ち切った痛みは大きい。

けれどそれにも構っていられない、恐ろしい事態はその時に起きた。
処刑を見届けたライゾが退席しようとした瞬間、ふいにその体が傾いで、
降り始めた細い雨の中に倒れたのだ。
原因はすぐにはわからなかった。
全身をくまなく調べたイェーラが、足首に刺さった小さな刺を発見した時、
ライゾはすでに発熱しており、ナーリという植物の刺だと見当がついた。
オーミの森ならどこでも、双神殿の周りにも自生している低木の刺は
強い毒性を持っている。
とはいえ病人や幼児、妊婦以外の健康な成人なら、体の自然な解毒作用で
二日ほど熱が出るだけで、すぐに回復する程度だ。
が、ライゾは三日経っても熱が下がらず、しかも異常に高い。
自責の念に、イェーラの声がかすれる。
「ずっと、まともに眠っていなかったとピナに聞いた。
食事もほとんど吐いていたようだと」
体力が落ちていたからだろう。
主が苦しんでいる時、そばにいないヤヴンハールに何の価値がある。
イェーラは手にした小瓶を見つめる。解毒剤だ。
このままでは危険なのは誰の目にも明らかだったが、ナーリの解毒剤は
別種の毒をぶつけて相殺させるもので、諸刃の剣と言われるほど
副作用が強い。
医者はその決断をイェーラに委ねた。
しかし決断しかねるイェーラに、エフワズは平静な声で言う。
「早く決めろ」
あの場にいて刺を放った間諜は結局捕まらず、今朝ベルカナからの
先触れが来た。
明日には使者が到着してしまう。
決断を迫られ、イェーラはエフワズに苦り切った視線を向ける。
それがエフワズを苛立たせた。
今朝来た先触れへの対応を次席大臣マンナズに指示したのも、
明日来る使者への対応に、聖歌隊からライゾの替え玉を選んだのも、
接見用の帳がついた玉座の設えをハルバに指示したのもエフワズだった。
加えてイングスに出撃の待機命令をフギンで飛ばし、
ライゾの側近たちには他の大臣たちへの対応を命じた。ライゾの容体を
隠し、外部に漏らさないように。
本来ならすべてイェーラの仕事のはずだが、彼女はライゾにつききりで
役に立たない。
礼を言われこそすれ、こんな恨みがましい目で睨まれる理由はない。
「それとも私が決めてやろうか」
あくまで動じない、冷徹な声音。
「…おまえはいい、エフワズ。私も、おまえのように石になれたら」
「こんなに苦しむこともなかった、か?」
馬鹿馬鹿しい、と鼻先で笑う。
そうだった。こういう男だ。
無口で徹底した合理主義。無駄なことが大嫌いなエフワズは、決して人の
気持ちが分からないわけじゃない。
彼にとって分かることと、それに関知するかしないかは常に別問題なのだ。
もしも自分自身が心身のどこかに傷を負っても、状態を冷静に観察し、
痛みの度合いを決めてからその分量だけ苦しんで、あとは自嘲気味に
手当てをし、手早く立ち直るのだろう。
つまるところオースィラ以外誰の悲嘆も苦しみも、関わる対象でない
だけのことだ。
なぜこんな男が、まだ海のものとも山のものともつかない幼い王女に
忠節を尽くす気になったのか。
意を決し、イェーラは小瓶の蓋を開ける。
「使おう」

朦朧とするライゾにそれを飲ませた後、イェーラは小さな石版を
ライゾの枕辺から取り出した。
「なんだそれは」
「処刑の前に、陛下が私に託したものだ」
それはライゾがグリームニルにイェーラを訪ねた霙の夜、その翌朝に
彼女の目の前で記したものだった。
鉄筆で書かれたそれに、エフワズが視線を走らせる。
<何事によっても余が執政不能となった場合、以下のことを命ず。
一、ヤヴンハール・イェーラに王妃の称号とその権限を与え、
  終生返上無用とする。
一、妹オースィラに副王の名乗りを承認し、王太子の権限を与える。
一、85代国王は弟ソウェルとし、各々がその権限を持ってソウェルが
  成人までの後見にあたるべし。
一、妹オースィラは、そのヤヴンハール・エフワズを夫として
  共同統治者に迎えることを条件に、第一位王位継承権を
  得るものとし、その場合ソウェルは第二位継承権にとどまる。>

「は」
ぽい、とエフワズが石版を放り出す。
「エフ…!」
咄嗟にイェーラが手を伸ばし、空中で掴んだ。
石版が割れば、国が割れる。
「この野郎なんてことしやが」
言いかけて、イェーラは我が目を疑った。
エフワズが笑っている。初めて見た、彼が感情を表すのを。
彼は肩を揺すって笑っていた。渇いた虚ろな声で。
「イェーラ、おまえも陛下も知らなかったのか。
全くとんでもない親父殿だな。黙ってれば済むとでも思ったか」
一頻り笑ったあと、小机を挟んだ向かい側の椅子をエフワズは指した。
「座れイェーラ、教えてやろう。私が何者か。」
銀色の髪と色のない瞳が、小机の燭台で灯る蝋燭の光を映して、
赤く光る。
神話の死神そっくりな男は、イェーラの方へ身を乗り出した。
「私はアルギス王の息子だよ。
母はヘルヴェイラ女王。知ってるだろう?
82代国王にしてアルギス王の姉君だ。」
一瞬、イェーラの思考が止まる。
いつもは自分のペースを変えないエフワズが、この時ばかりは
イェーラの思考が追いつくのを黙って待った。
そしてイェーラがするだろう質問の答えを自ら話し始める。
「アルギス王に姉がいたのは知ってるな。実姉だったが、長年弟に
懸想した挙句、怪しげな薬でもって弟の意識を奪い強姦。
想いを遂げて身ごもったわけだ。月神殿の離れに閉じこもり、
隠れて産んだ子は隠して育てるしかない。しかしヘルヴェイラは
王冠を継いで間もなく夭折。その時アルギス王は初めて私の存在を
知った。
つまり私はアルギス王が17歳当時の子で、長男。ライゾ王たちの
兄であり、叔父ということになる。
おまえが知らなかったのなら、他に知っていたのはヘルヴェイラ女王の
ヤヴンハール・ブラーインだけということになるな。
…それも疾うに死んだが。」
しばらく経って、ようやくイェーラは喉から声を絞り出す。
「その話、オースィラ殿下は」
「5年前に話した。」
「そ、殿下、は、何と」
「それでも私を愛すると。」
無限の愛をこめた小さな手が力一杯彼を抱擁した時から、エフワズの
命と人生は、幼い少女のもとに繋がれたのだ。
「どう、する気だ…」
「ライゾ王の遺言のことなら、謹んでお受けしよう。
もちろん王后陛下がお許しくださるなら、だが。」
その答えに、イェーラは目眩を感じる。
やっと分かった。なぜ彼が石のようなのか。
近親相姦の禁忌に生まれ、王家の闇そのものとして生きた。
すべての激情を氷の棺に閉じ込めて20数年を生き、彼は生きながら
死神と呼ばれるものになったのだ。
妹を、それと知りながら妻にもしようという昏い欲望。
救われないのはオースィラも同じだ。彼女は幼い。それが罪だと
理解しているかどうかも怪しい。
けれど、もう遅い。彼の心は決まっている。
オースィラはその激しい愛にわれ知らず巻き込まれ、嬉々として二人は
魔道にも身を堕とすだろう。
それをどう判じろというのか。
「…おまえ、まさかあの暗殺に、何か関わってないだろうな」
エフワズは小さなため息を落とした。
「さあ、どうかな。自分ではその気はなくても、人の心は分からない。
…おまえ、世界王の騎士を知ってるか?」
不意の質問に、イェーラは首を横に振る。
「海暮らしでは知らないか。秘密結社だ。世界をひとつの国にするのが
目的らしい。」
「…それが、アルギス様の死に関係してると?」
「いや、分からない。けれど瑤神殿の厩舎の壁は、幼少時にライゾ王の
気に入りの落書き版だったと聞く。」
「そこに、それが?」
「ああ。息子が神殿を出されてから、アサ王太后が消させずに置いた。
世界王の騎士、内の二人、冠なし。意味がわかるか?」
「子供の落書きに意味なんて」
「5歳の子供が書く言葉でもない。」
「おまえ、まさかと思うが陛下を疑ってるのか?」
「ライゾ王にあんな芝居は出来ないな。けれど、言っただろう。
人の心は分からない。自分にその気はなくても。」

その時、寝室の扉が叩かれた。
「緊急につき直接ご報告いたします!
ベルカナ王バラゴの軍は旧ダノワの港に集められ出撃準備を完了した
もよう。数は大型軍船10隻、軍船150隻、小型快速船30隻。
これに必要な漕ぎ手は39000人、水夫は7000人、乗船可能な戦闘員は
20000人と思われます」
イェーラが立ち上がり、気持ちを切り替えて言う。
「バラゴめ、なかなか本気のようだな。分かった、続報を頼む。」
「御意!」
赤毛をうなじで束ねながら、先程の答えをエフワズに返す。
「陛下はアルギス様の死に関わってなどいない。
私は王妃になんかならないし、陛下は死なない。死神からでも取り返す。
おまえのことは、おまえが決めればいい。」
「…御意のままに。
ああ、それからもうひとつ報告があった。
鎮魂の宮の近くの森の中で、主席大臣ペルスの妻フォルセトの遺体が
発見されたそうだ。短剣で首筋を切っての自殺らしい。」
イェーラにとってフォルセトは養育費をくれた男の妻で、
会ったことのない義母だった。
けれどその死が息子の処刑に殉じたものである以上、彼女もまた
自分が殺したと同じこと。そう感じずにいられない。
「…そうか。」
「報告によるとその自殺に使った短剣がライゾ王のものだとかで、
ペルスが返上にきたそうだ。
鎮魂の宮の番兵の話では、ライゾ王は、自分の使命が終わるときに
復讐されてやると言って渡したそうだが。
おまえの陛下はまだ分かっていないらしい。国王は神だ。
その口から出る言葉はすべからく命令であり、果たせない命令は
人を追い詰めるだけだ。
おまえからよく説明してやれ。その機会があればな。」

間もなく、ダノワの港とダラテナ海峡を挟んで右斜めに向かい合う
エギルの南大門に、イングスが揃えたオーミ海賊船団の本隊は、
軍船100隻、小型快速船30隻、漕ぎ手18000人、水夫3500人、
戦闘員9000人の戦力だった。
加えて左斜めに向かい合う港、イアブールの南小門に待機する分隊は、
小型快速船250隻、水夫2000人、漕ぎ手兼戦闘員7500人である。



つづきます


3章 命を裁く時 |トラックバック(0) |コメント(0)

プロフィール

シカピ

Author:シカピ
数年前、とある美声にひと耳惚れし、
そのまま声フェチに、そして
ヤンデレに行き着きました。
同じ道を通った人、いますか?

真冬以外は年中花粉症です。

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