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ダラテナの海戦(黄金の太陽9回目)

テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

ベルカナ。
過去3度に渡ってオーミに来襲し、いずれも海賊たちに追い返されるも、
今もって虎視眈々と狙い続け、オーミを獲ることを宿願とする。
代々、武力で北の海域を配下にせんと目論む王たちの国。
その強大な軍事力ゆえ、オーミの歴代国王は一切の関わりを拒み、
決して交易を行わなかった。
ベルカナと交易をもった小国のいくつかはすでに侵略され、滅ぼされ
民は圧政のもとに蹂躙されている。
旧ダノワもそのひとつであり、現国王バラゴの親族の姫を
第三王子が娶った翌年、責め滅ぼされた。
首都オシュムで繰り広げられた虐殺は一週間に及び、一都市が全滅する
という凄惨な事態は、老齢バラゴの残虐と非情を鳴り響かせ、
とり憑いて利益を貪る様は屍食鬼オルドルの異名で呼ばれる。

今、オーミの位置する北の海域で、ベルカナと対等に渡り合える国は
わずかに3国である。

まずベルカナと陸の国境を接するネツァーク。
女帝の治める北の海域最大の帝国は、万事に中立を保つ平和主義であるが、
その平和こそは広大で肥沃な土地と、<翼ある獅子>の旗印のもと、
鬼神の強さを誇る陸海両軍があってこそであり、対応にはどんな油断も
禁物だ。
女帝アツィルナ・マルクトがオーミの門の狭さを不満に思っていること、
また前アルギス王が女帝の娘との結婚話を断ったことなどから、
オーミとの関係は良好とは言い難かった。

次いでネツァークと同じくベルカナと地続きのマクール。
国王コクマ・エリントは金で物を集め金で人を動かす、商法による戦略を
得意とする。
現在は隣の農業国スクルドと国境問題での小競り合いが長引いており、
少々圧迫されてきた財政を立て直すべく、新たな儲け口を情熱的に物色中
である。

そして残る一国オーミ。
その黄金を制する者は世界を制すると言われたほどの富裕国。
数多の海賊と海に守られた黄金の島国。
微妙な均衡を保つ4国の今後を決める鍵は、今14歳の新王、月神殿に
眠るライゾにあった。

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解毒剤を含んだライゾが昏睡に落ちた朝、ベルカナの使者は到着した。
エフワズが選んだ替え玉は、海賊育ちの本物よりもよほど優雅に
務めをこなしたので、使者も薄い帳付きの玉座はナーリの毒による
体調不良を隠すためと信じたようだ。

「皆さん、待たせましたね。」
太陽殿の貴賓室に使者を待たせ、オースィラはエフワズを伴い
第二執務室に入った。
そこに待っていたのはライゾの側近であるヤルルとアルヴィース、
先王のヤヴンハール・イーサ、間諜たちの代表ヴァルキール、
エギルから派遣された海賊長イングスの副官ロッドファブル、
それに蟄居が解けたばかりの主席大臣ペルスをはじめとする7人の
執政大臣たちだ。
オースィラは王の席に座り、皆を着席させた。
「使者からもたらされたベルカナ王バラゴの口上と、陛下のご意志を
皆に伝えるべく、陛下は私を副王に任ぜられました。
陛下はすでにご回復ですが、大事をとるにはもう暫し休養が必要です。
副王とは耳慣れない名とは存じますが、これは陛下のお言葉を口移しに
お伝えするためだけの形式であれば、どなたもご発言ご意見は
ご随意に。」
きちんと間違えず、堂々と言えただろうか?
12人の注視の中、オースィラは小さく息をつき、手元の走り書きに
目を落とす。
緊張で、手が汗ばんだ。
というのもライゾが倒れてから、戦に向かっていた神殿内の空気が
一気に和睦交渉へと傾き始めたのだ。
生き神を奉るオーミ人にとって、その不在は著しく人心を乱す。
しかも成年に足りないとはいえ、ライゾの存在感は美貌のみならず
ずば抜けている。そこに在るだけで、衆目を集めずにおかない
威容があるのだ。
そのライゾが動けない今、勝ち目のない戦で国ごと乗っ取られるよりは、
交渉を繰り返して被害を最小限に留めたいと考えるのが普通だろう。
けれどそれでは、鵜の目鷹の目でオーミを狙う他の国を退けることは
できないとエフワズは言った。
ベルカナや他の国の奴隷になりたくなければ、オースィラは諸臣を説得し、
再び戦に向かわせなければならないと。
国議に参加したこともなければ、皆の前で政など話したこともない
オースィラにとって、はるかに年上の大人たちを前に王族として
ライゾの代理を務め、説得することは容易ではない。
エフワズは、事前に必要な情報をすべて彼女に伝え、そのコツを教えた。
与えられたいくつかの助言を心に反芻し、彼女はその戦いに赴く。
全幅の信頼を置く自分のヤヴンハール。
その手になる台本を信じ、神経を集中して研ぎ澄まし、全力で演じきる。
理由はいらない。
そうすることが、エフワズの望みだから。
声が震えないよう、あえて強めに発音する。
「<我がバラゴ・ラグレン・イレ・ベルカナ王は貴国アルギス・
ミュゼファン王の死に哀悼を示し、幼い後継者に心からの同情を寄せて
おります。ご自身の御名まで変えて父君を偲ばれるライゾ殿の心細さは
いかばかりかと日々心にかけ、せめて一臂のお力になれればと私を
遣わせました。
我が王バラゴは今後ライゾ殿の代父ともなって、陰日向なく貴国を後見
したいと考えております。
つきまして、まずは私が持参せし金貨3万サーラの資金援助と、この
機に乗じようとする周辺諸国からライゾ殿の身辺及び首都をお守りする
ため、2万の派兵を申し出ております。
これに対する我が王の要望は、オーミ近海の艦隊通過許可と、年間
3カーデンの黄金の購買権のみです。
これを拒否なさる場合、私はこの場で宣戦布告の使者として我が王の
決断をお伝えせねばなりません。>」
3カーデンは、オーミが一年に産出する黄金の半分強にあたる。
父王は死に、幼い息子を守るものはいない。名など変えても詮無きこと。
列国によって輪姦の憂き目にあうよりはベルカナ一国の強姦で済んだ方が
よいだろうから諦めて身を差し出せ。
使者はそう言っているのだと、エフワズはオースィラに説明した。
読みあげ、オースィラは紙片から目を上げる。
「陛下は何と仰せで?」
まっ先に問いかけたのはロッドファブルだった。
ここからが、正念場だ。
「徹底抗戦を望む、と。」
大臣たちから一驚を喫する声が上がる。
けれど駆け引きを知らないオースィラの、純然とした正義感は彼らが
何に驚いているのか理解しない。
売られた喧嘩を買うことに、なんのためらいがいるものか。
「無茶でございます」
強い語気でペルスが言う。
「先日過労にお倒れになったばかりで戦など」
ペルスがここにいることが、オースィラにとってはすでに許せない。
彼女は不機嫌に返した。
「陛下はすでにご回復だと先ほど申しました」
「しかし陛下はまだご即位なされたばかりで、ベルカナという国に
ついてもバラゴについても、よくご存知でない。それでそのような
無茶を」
「ペルス殿、言葉が過ぎますぞ」
気色ばむオースィラに、ペルスの身を案じた次席のマンナズが止める。
「不遜は承知。ですが無謀はお止めしなければ。
殿下、いえ、副王陛下、無理な戦に臨まずとも、我が国には黄金という
なにより強い武器がございます。5年、いや、ほんの2、3年で
よいのです。
使者と交渉し、短期的な取り決めだけでも結んでやれば、今は退かせる
ことができるでしょう。」
オースィラは言葉を失った。まさか親の敵も同然のこの男をして、
兄を無知だの無謀だの言わしめるとは。
「いま少し時間があれば、陛下は今にも増して強く賢くおなりでしょう。
ここはご辛抱なさるべきかと。」
子供を宥めるようなペルスの口調と、彼に同調する幾人かの大臣が
向けてくる同情の視線が、オースィラの憎しみを煽った。
「主席大臣として私は和睦を申し入れるべきと」
思わずオースィラは立ち上がる。
「黙りなさい!」
襲い来る敵に和睦を申し入れる。それがどんなことか、エフワズは
オシュム大虐殺の資料をもってオースィラに解説していた。
「おまえは、敵に尾を振り下僕になり下がれと
民と陛下にそう申すのですか!」
「いいえ、しかし陛下に戦の指揮はまだできますまい」
「お黙り無礼者!」
決して激昂したり、弱気になったりしてはいけない。そうなれば、
誰も話を聞いてくれなくなる。
エフワズの忠告を思い出し、オースィラはつとめて息を吐く。
「攻め込まれ、戦いもせずに何の和睦でしょう。和睦ならば、せめて
一矢浴びせた後でなければなりません。
対等でない和睦は、即ち従属です。」
侵略に理由のいらないベルカナを、みすみす招き入れたくないのは
誰も同じ。
けれどライゾの不在が、伸るか反るかの勝負にでようという気概を挫く。
「殿下、発言のお許しを。」
決めかねる大臣たちに、陰謀担当アルヴィースが光明をもたらす。
エフワズが、オースィラの背後から肩にそっと触れた。
そう、ひとりじゃない。彼はここにいる。
「どうぞ。」
オースィラは静かに着席した。
アルヴィースは諸臣を一巡見回して、口を開く。
「陛下のなさりたいことをいかにしてなすか。
まず陛下のお望みは、徹底抗戦。私はそれが軍事行為のみを意味するとは
思いません。政治もまた戦でございます。
そう、例えば、バラゴの矛先を変えさせることができれば、と。
例えば、北の海域最大の帝国ネツァークと、がめつい商人の国マクール。
そのネツァークの魔女とマクールの妖怪では、何度化かしあってもカタが
つかないので、現在2国は友好も敵対もしておりません。
その妖怪は今は隣のスクルドと揉め続け、金がない。スクルドはさして
強くもない農業国ですが、王太子妃が魔女の親戚なので思い切っては
叩けない。
ならば確かに黄金は役に立ちます。ただし交渉相手はベルカナでなく
ネツァークです。かのアツィルナ・マルクトは野心家ですが、極めて
理知的な合理主義者。オルドルの異名をとるバラゴよりよほどましな
相手です。
オーミとネツァークが平和的に交易をもてば、間接的にスクルドの立場も
強くなる。利に敏い妖怪がスクルドと休戦すれば、3国は友好とまでは
いかなくても、少なくともオーミに対して明らかな敵対行動はとれない。
ベルカナは北の海域で孤立する。その時バラゴにとって一番の脅威は
国境を接するネツァークとなります。
そのネツァークも現在は南部ドゥネイル地方の反乱に手を焼いてるとか。
しかもドゥネイル領主は帝国からの独立を宣言しているそうで。
あの肥沃な農耕地を失うとなれば、地続きのベルカナは充分に、女帝の
新たな領土欲の対象になりえます。
ネツァークとベルカナ間の、あのどこまでも続く国境線の警備を強化する
には、どちらもさぞかし多くの兵が入り用でしょう。
我が国へ遠征どころではなくなります。
目下オルドルの尻に火がつくまで、オーミ船団はせいぜい逃げ回って
ベルカナ艦隊を煙に巻いてやればいい。
バラゴも息子の王太子が女のドレスをまとって情夫と寝室にいる限り、
おいそれと国を留守にはできないでしょうから。もしもうまくして
ネツァークと争ってくれれば、安上がりにして両国の力を削げるかも
しれません。ま、そこまでは期待しませんがね。」
さらに金策担当ヤルルが援護する。
「確かに、いつでも戦争は金食い虫で、船も人も無駄に浪費するばかり。
避けられるなら避けるに越したことはありませんよ。
ネツァークが無理なら、スクルドと直に交渉する手もある。その場合は
もっと安上がりだ。
現在スクルドは黄金の購買権を少ないとはいえ保持しておりますから、
明礬あたり上乗せしてはどうですかね。
どちらにせよネツァークやマクールが噛んでるかぎり、容易に運ぶとは
思いませんが、幸いスクルドの宮廷管財人とマンナズ殿は、職務を通じて
長い付き合いがおありです。女帝血縁の王太子妃とも顔見知りと
記憶しておりますよ。あたってみる価値はあるでしょう。
殿下はいかがお考えですか?」
全員が一斉にオースィラに注目する。
アルヴィースが、彼女のために現状の説明を交えてくれたことはわかる。
けれど正直言って、全部は理解できていない。
そこへすかさずエフワズがもう一度、彼女の肩に触れる。
次の手札への合図だ。
「その女帝は、バラゴからの秋波にまんざらでもない様子だとか。」
一気に全員が青ざめるほど、強い手札。
悪すぎる知らせは、逆手に取るだけの価値があるとエフワズは言った。
「女帝とバラゴが結べば、状況は一転、包囲網は我が国に向けられます。
けれど周知のように我が友好国たちは遠すぎるか弱すぎるかで、援軍など
頼みようもなく、かといって手近な強国に支援など乞うては自ら身売り
するも同然。
あわや全面降伏かと、一時は顔色失ったと陛下は仰せでした。」
「ならば殿下」
再度反論しようとしたペルスを、オースィラは切り捨てた。
「以後あなたの発言を禁じます。
皆さん聞いてください。まだ先があります。
問題はこの情報の出どころが、当のネツァークだと判明したことです。」
本当は情報の出どころについては未確認だが、そう言っておけばよいと
エフワズが言ったのだ。
彼はオースィラに決して嘘をつかない。だから、それでいい。
「女帝がこちらの反応を伺うために故意に流したと思われます。
よそから送られた恋文をちらつかせ、男が妬いてくれるのを待つのが
女です。
オーミとベルカナ。どちらにつくか、女帝は我が王を値踏みしようと
しています。ならば陛下が、バラゴより高くあればよいのです。
若く美しく強い男が華々しく登場すれば、老いて陰気なかつての恋人など
魔女は見向きもしなくなるでしょう。
スクルドとの交渉も確かにひとつの方策でしょうが、それでは十分な
示威にはなりません。
陛下は、御身がこの国の王であることを、アルギスなき今もオーミには
王が在ることを周辺諸国に知らしめたい。その為の機会を逃したくないと
仰せでした。」
力強い言葉だった。
ライゾは本当に回復しているのかもしれないと、彼らは思い始める。
「冷静に考えればこそ、交渉での解決を望むにしても、せめて船団を
もって海へ出れば、ただ白旗を振るよりもはるかに対等で安全な交渉が
できます。
災いは潰さなければ。完膚なきまでに叩き潰さなければ、それは必ず
大きくなって再び私たちに降りかかる。
兄は、我が王はこの国をベルカナの奴隷にはしない。何者にも蹂躙させは
しない。
父上が身罷った日、陛下は私たちにそうお約束くださいました。ユマラと
海と天地の精霊、その御名にかけて、千年の栄光を共に築くと誓われました。
皆さんと、共に。方々、どうかご決断を。」
エフワズが喋らせているのは分かっている。台本通りの台詞だろう。
とはいえ、これが初舞台。本当に13歳の少女のものかと誰もが
驚くほどの胆力だった。確かにあの賢王の血を受け継いだ、この兄弟に、
神の子たちに、賭けてみようかと思わせるほどの。
「お見事でございますぞ殿下」
同じく海賊あがりのマンナズは、禿頭の傷跡に呼び起こされるものが
あるらしい。熱い声だった。
王を信じ、国を信じ、部下を信じる。少女が身をもって示した心。
それこそが国を守り、人を守るということではないのか。
ここで踏ん張らなけりゃ、男じゃない。
「このマンナズ、卑小なる身の全力を挙げて、陛下のご意志にお仕え
いたしましょう。」



つづきます


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ダラテナの海戦(黄金の太陽10回目)

テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

オーミの西南西から南東へかけて広がるダラテナ諸島は、1500を数える
小島の連なりで出来ている。
ベルカナからは北東に当たり、多くの岩礁がオーミへの海路を複雑、
あるいは遠回りなものにしている。
しかし現ベルカナ領旧ダノワの港と、オーミのエギルに挟まれるダラテナ
海峡は、袋の口を絞ったように狭くなっている。
が、そこはダラテナ諸島の北西から流れ込む海流の出口であり、
流れが速い。
そこを戦場としたのは、互いに短期決戦を望んでいるからだ。
この距離なら物資の運搬もほぼ必要ないため、小回りのきかない大型船は
旗艦ぐらいしか使わずに済む。
その夜明け。
両国の港をそれぞれの船団、艦隊が出港する。

「しばらくぶりですなユミル!」
「イングス!」
エギルの港。出港直前の甲板で、イェーラとイングスが
がっしりと抱擁を交わす。
厚い頬髭、太く毛深い日に焼けた腕、底抜けに明るい瞳をした、
世にも豪胆な四十男。
その変わらぬ笑顔とくっきりとした太陽に、このところの沈んだ心が
眩しく照らされるようで、イェーラは目を細めた。
「ユミルにはまた背が大きくなられたか?もうあと2、3年も経てば
私を追い越しますぞ!」
ばんばんと背中を叩く力強い手のひら。
「そっちが縮んでるんじゃないか?」
イェーラもその背を叩き返した。
出港間際の甲板で、海の父はいとも容易く彼女の憂いを吹き飛ばす。
イングスが時間を押してまでイェーラに会いに来たのは、ライゾの様子を
聞くためだったが、使いで済ませず来てよかったと、イェーラの顔を見て
彼は思った。
ずっと気にかかっていたのだ。最後に二人に会ったのは、アルギス王が
亡くなった折の臨幸訪問兼打ち合わせの時だった。
追い詰められた表情の二人に、あの後起きたことがどんなに辛かったか、
二人の代父として10年見守ったイングスにわからないはずはない。
二人が一緒にいられないことが、いかに彼らを不安定にするかも、彼は
よく知っていた。
そして、どんな言葉や気遣いより、この海原を渡る風と光る波飛沫こそが
二人の心を洗い流し、一層強くするだろうことも。
海の子たちは勇敢だ。
だからその背をたたいてやるだけでいい。
よくやったと、いつでも見ていると、心を込めてたたいてやればいい。
「ありがとう。来てくれて」
イェーラにも、その分厚い手のひらに込められた気持ちは、
汲みとるに難くない。
彼女は自分の居場所を実感し、心の澱が溶ける気がした。
ただライゾは。
「陛下は?」
声を潜めたイングスの問いに、彼女は目を伏せる。
「まだ目覚めない。」
「神殿に?」
「いや、そのほうが危ないから、連れてきた。」
「この船か?」
「ああ。樽に入れて水と一緒に船倉に置いた。」
「そうか。では作戦通りに?」
「ああ、変更はない。未定だった陛下の役どころだが」
かつて身分を隠し海賊たちに混じって暮らした8年間、ライゾは皆から
王子さんと呼ばれた。が、彼が本当に王子であるなどとは想像する
者さえいなかった。呼び名はあだ名にすぎず、ライゾはユミルが
気に入りの小姓と誰もが信じていた。
海賊ライゾと国王ライゾはこの時点で別人と認識されている。
ゆえに実力だけが物を言う戦闘指揮官として、美貌の評判が先走る
能力未知数の新王は、海賊たちにとって不安極まりない存在だ。
どんなに信心深くとも、祈りは敵には通じない。
たとえ王の指揮能力が十分でも、不信は大きな枷となる。
しかしこれは王が指揮してこそ意味のある一戦。
イェーラとエフワズは一計を案じ、象徴として最適な陽の乙女ユミル、
三本足の赤鷲を、王の代役に演じさせることにした。
髪を赤く染め、黄金の仮面を付け、船隊を率い、ライゾの太刀筋を
真似て戦う。そして勝利の暁には我こそ王だと名乗りを上げ、
本物の赤鷲イェーラがその足元に膝を折る。
聖歌隊の少年には不可能なその役を引き受けたのは。
「イーサがやることになった。」
「サロワ・イーサが?彼は間諜たちの元締であって武官じゃないだろう?」
「ヤヴンハールならひと通りの剣は使えるだろう。本人も是非
やりたいと言った。」
主アルギスの命と共に生きる意味を失ったヤヴンハールの気持ちは、
イェーラにはよくわかる。止める気にはならなかった。
「そうか。よし!時間がない、行こう」
「ああ、また後で会おう!」

天気は快晴。風は西からの微風。
ここ数日の凪ぎで澄み渡る海に、朝日を弾き七色の飛沫を上げながら、
オーミ海賊団は国境海域に停船した。
陸を右手に見ながら、袋の口であえて海流に逆らい外洋を背にしての
布陣だった。
やがて檣楼手が、ダラテナ海峡を北上してくるベルカナ艦隊の
右舷側面を水平線上に捉える。
「見えました!
中央旗艦は“有翼の蛇”王太子ガラドラル・バレッジ・イレ・ベルカナ!
右翼旗艦は“四本角の雄牛”タイトン・ブリモーネ!
左翼旗艦は“紺碧の盾”リグザディッド・ガンディ!」
イングスは訝しんで髭をなでる。
いかに先の短い老体といえあの屍食鬼オルドルが、この重要な一戦に、
女の服をまとったひ弱な王太子に、中央旗艦を任せるか?
「中央後方に見える旗はないか!」
真下からのイングスの問いかけに、檣楼手が望遠鏡についた水晶の角度を
調節する。
旧ダノワの港から北北東に直進してきたベルカナ艦隊は、
左舷にオーミの船影がないことを確認し、右5点に向きを変え、
軍船が通り抜けできないダラテナ諸島の岩礁群を背にとる。
海流に逆らわず、風向きに逆らわず、唯一不利になる真正面からの
朝日は、ゆっくり陣形を整えることで時間が解決してくれる。
全ての艦の方向転換が終わったところで、檣楼手はようやく全貌を確認した。
「見えました!
敵中央後方に旗艦あり!“矢を番える黒獅子”バラゴ・ラグレン・イレ・
ベルカナです!」
「きたか」
ベルカナ艦隊は横に大きく広がり中央を少し窪ませた三日月形に陣容を
整えつつあった。
左右に歴戦の名提督、中央に腰抜け、後ろにオルドル、そして中程に
厚みを持たせた三日月形の陣形。
それがバラゴの作戦をイングスに教えた。
横に並んだ戦列なら当然弱い場所、王太子の中央艦隊を崩しにかかる。
そこを足がかりに奥の大将首を狙って踏み込めば、両翼が前進して
挟み撃ち。
王太子を生贄に自らはより安全な大型船ではなく実践的な中型の軍艦に
旗を上げる。
「ふん、くそじじぃ達者だな」
さらにオーミの布陣から東南東の後方には、旧ダノワの漁港がある。
軍艦でも、小型で少数なら利用可能だろう。
そこから艦を繰り出して袋の口を閉じれば、完全な包囲網が完成する。
イングスが再び檣楼手に声を上げた。
「後方に別動隊が見えたら報告しろ!」
続いて現在の陣形に調整を加えるべく、伝令用の小型船を走らせる。
「ユミルに知らせろ。10隻連れて前進し、最前列へ出ろ。
先陣を切らせてやるとな」
これによりオーミの陣形は凸型になる。
先頭中央にイェーラ。その後方の本隊中央にイングス。
右翼に北門ヒワの領主リハゴ。左翼は東門ボッディのウルズ。
そしてイーサがいる分隊は西門ブーイのエルストラ指揮下だ。
潮と風に逆らって漕ぐことは、短時間でも恐ろしく体力を消耗する。
そもそもオーミの漕ぎ手たちはベルカナのような奴隷ではなく
海賊に雇われた働き手であり、つまり操船技術のない海賊、
ならず者の集まりでもある。
そのためいざというときには彼らも戦闘員に数えられるのだが、
ここで体力を消耗しすぎると、それは難しくなるだろう。
大きな報奨が必要だ。
イェーラは帆をたたませ、櫂が動き出すと船底へ向かった。
「おい聞け!イングスが先鋒を譲った!オルドルの首は我らの
ものだ!獲った奴には新造船を一隻やるぞ!」
野太い歓声が怒号のように沸き起こる。
「戦闘開始と同時に全速前進!敵中央ガラドラル艦隊をすり抜け
後方中央バラゴの指揮艦隊を襲撃する!
後方に突っ込むまで前衛の艦とは櫂一本たりとも
噛み合せるな!
好きなだけぶっ殺して船長になる好機だ!
おまえらろくでなしの意地と流儀、ベルカナのカマ野郎どもに
見せてやれ!」

互いに伝達用の小型船を出しての、形式上の最後の交渉は無事決裂。
正午近く、開戦を告げる銅鑼が高らかに響く。
錨を上げた船が一斉に漕ぎ出した。
ベルカナ艦隊は潮に乗り、イェーラの指揮船団の倍以上の速度で、
戦列を保ったまま前進してくる。
「船足を合わせろ!遅れるな!」
距離はみるみる縮まり、イェーラは船首付近の甲板から敵の旗艦上に
王太子の姿を探した。
しかし互いの櫂を噛み合せる衝突に備えて身構えた、ベルカナ兵たちの
中に王太子は見えない。
指揮官不在の軍艦を尻目に、10隻は横一列に並んだままそれぞれ敵艦の
間に滑り込んでゆく。
櫂を噛み合わせ、敵船に乗り移る白兵戦の用意をしていたベルカナ兵は
脇をすり抜けていこうとするオーミ船団に驚き、焦る。
慌てて剣を弓に持ち替えて射掛けるが、まばらな射的は十分な威力を
発揮しない。
イェーラは目の前に飛来した矢を咄嗟に剣で弾き落とした。
「構うな!船足を緩めず走り抜けろ!こっちからは一矢も放つんじゃ
ないぞ!」
海賊たちは簡単な盾を使って矢を防ぎ、時々降ってくる火矢の
消火活動をこなす。
その間にも船団は利きにくい舵を操って前進を続け、ほどなく王太子の
指揮艦隊を揃って抜けきった。
「船首を回せ!右4点!右舷の錨をおろせ!バラゴに体当たりだ!」
下ろした錨に引っ張られ、軋みを上げて船首が動く。
「ぶつかるぞ!掴まれ!」
三本足の赤鷲は、矢を番える黒獅子に突っ込んだ。
舳先が凄まじい音を立ててぶつかり合い、弾みで互いの船首が大きく
持ち上がる。
船体がぎりりとうなり、白波を起こして落ちるを合図に戦闘が始まった。
他の船もバラゴ指揮下の艦とがっちり櫂を組み、兵士も水夫も
入り乱れての白兵戦となる。
イェーラは抜身の剣を2本腰に下げ、索具をつかんでぶら下がる。
船縁から踏み切って大きく弧を描き、まっ先にバラゴの艦に乗り移った。
「いやっはー!」
着地と同時にイェーラの双剣が舞い、一瞬にしてベルカナ兵の首が二つ
宙に浮く。
「バラゴの首級、この赤鷲がもらい受ける!」
音に聞こえた女海賊オーミの赤鷲。
恐ろしいのは彼女個人の力よりも、彼女を幸運の乙女と称える
海賊たちの信仰だ。理由も根拠も必要とせず、勝利の女神がそこにある
だけで、海賊たちは命知らずに前進する。
その勢いは、背水之陣をもってしか抗しきれない。
「赤鷲だ!」
「赤鷲が出たぞ!」
「畜生ここ2年出てなかったのによ!」
「ツイてねぇなぁ!」
たちまち周りを囲まれ、イェーラは翼を広げる鷲のように、
大きく両腕を開いた。
昂る血の熱さに、乾いた唇を舐める。
そうだ。抑え難く沸き立つ、この熱さ。
船は揺りかご、剣は友。ライゾとオーミの存亡をかけ、イェーラは
剣を握り直した。


つづきます


4章 ダラテナの海戦 |トラックバック(0) |コメント(0)

ダラテナの海戦(黄金の太陽11回目)

テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

イェーラの剣術、体術には独特の流れがある。
それは女である彼女の体力的な不利を補うためにイングスが
教えたものだ。
動体視力を養い、動きの速さに重点を置き、
流れに逆らわないよう相手の力に自分の力を乗せ、
相乗した力に方向を与えて急所を狙う。
規則性を持たせず、先を読ませず、澱みなく。
ライゾが“火のような”と評した理由はそこにあった。
例えば囲まれた場合には、長身を生かし包囲の中の低い場所にまず
打ち下ろして穴を開け、囲みの外から手近な者の足元をすくい、
広げた穴から出てくる順に叩いていく。
得意の得物の双剣で、伸縮自在、ゆらめく火のように、羽ばたく鳥の
ように、右手の甲に彫った赤鷲は、そのまま彼女の戦闘スタイルに
なぞらえたものだった。
瞬く間に甲板には血の雨が降り注ぎ、彼女の周囲に空間が広がっていく。
血煙の下に敵兵は崩れ、赤鷲の本領が遺憾なく発揮されされる後方では、
イングスを中央とする本隊が、一直線に並んでベルカナ前衛艦隊と
ぶつかっていた。
真打であった国王バラゴの艦隊にまっ先に攻め込まれ、前衛両翼の
2提督に方向転換の暇はなく、後方の援護に向かおうにも、
噛み合った櫂はすぐには動かない。
戦いは徐々に激しさを増し、もはやベルカナの陣容内で統制のとれた
動きができるのは、左右2提督の配下のみとなっていた。
3人組をつくるベルカナ流陸戦の基本をよく守り、緩急自在に揺さぶる
戦法を展開する両翼に、時間が経つにつれ圧されてきたのは
数の上で劣勢のオーミ側だった。
「イングス船長!右翼リハゴ隊、リグザディッド・ガンディに苦戦中!
リハゴ副官モルドが討たれました!」
伝令船からの報告にイングスは舌打ちを漏らした。
「こんなところか。よし!中央後衛16から30番船、左右に分かれて
援護に入れ!」
錨を上げ、敵船と絡ませた櫂を一斉に海中に突き出し、放棄すると、
潮に押されて船は後退を始める。
そのタイミングで舵を切り、新たな櫂を突き出して漕ぎだした。
「分隊に合図だ!」
怒鳴りながらも、剛腕で水平に振り出したイングスの剣が、目前に
襲い来る兵士の胴体を、一刀のもとに両断した。
血染めの剣を存分に振り回し船室への道を開くと、伝令使はそこに
置かれた大籠を引っ張り出す。
合図の鳥フギンが10羽、空へ放たれた。
ダラテナ諸島の島影に隠れていたエルストラ指揮下の分隊、250隻の
小型船が、一気に滑り出す。
一隻あたりの乗員は水夫もあわせて40人程度。喫水浅く、湾曲操舵の度に
船体が大きく傾く三角帆の船は、小回りのよい最高の高速船だ。
海流に乗り、追い風をとらえ、軍船の大きさでは通れない岩礁群を
楽にかわしながら、ベルカナ艦隊の背後にみるみる迫る。
先頭に赤鷲の旗を掲げた舳先には、イェーラに扮したイーサが
立っていた。
風になびく派手な赤毛にいち早く気づいた檣楼手が声を張り上げる。
「赤鷲だ!後ろから赤鷲がくるぞ!」
「ばか野郎どこ見てやがる赤鷲はここだ!」
「ばかはどっちだよっく見やがれ!」
「お、おお!?じゃこっちのは偽物か!?」
言った兵士の腕が構えた剣ごと甲板に転がり、血が音を立ててこぼれた。
「本物だ間抜け!」
答えたイェーラは2本目の剣でとどめを刺し、後ろを振り返る。
ベルカナにとって今は予定通りに崩れてはならない王太子ガラドラルの
中央艦隊が、半分の数しかないイングスを相手に、やはり予定通り
崩れ始めていた。
ベルカナ艦隊の中央を縦一直線に潰し、驚異である2提督を孤立させる。
その後、戦力を左右に集め、分隊を外から回り込ませれば、
ベルカナ艦隊は落ちるだろう。
中央を潰す。国王バラゴと王太子ガラドラルを。
あたるを幸いに何もかもをなぎ倒し、イェーラは船室へたどり着いた。
「ここは通さん」
髭面の大男が二人、扉の前に立ち塞がる。ということは。
「国王はそこか。雑魚に用はない。見逃してやるからバラゴを出せ。」
髭面二人は顔を見合わせ、にやりと笑った。
イェーラの左右から同時に斬り下ろす2本の剣を、後方へとんぼをきって
かわした次の瞬間には、双剣が二人の喉元の大動脈を切り裂いていた。
「死ね赤鷲!」
3人目の男が脇から飛び出し、振りかぶって分厚い斧をイェーラの
延髄めがけて真横に打ち込む。それを左右170度の開脚でよけ、
頭上をかすめた斧が船室の壁に突っ込むや、イェーラは大きく開いた
両腕を交差させる。双剣がハサミとなってスライドし、男の首が
胴体から離れた。
更に後ろから次の3人組が駆けつけ、一人がイェーラの背中めがけて
短剣を投げる。瞬時にイェーラは剣を放し、前転でそれを避けると、
立ち上がりに回し蹴りを男の顔面に食らわせた。
直後、左右に回りこんだ2人がイェーラの脇腹めがけて突き入れた剣を、
胸を反らせてかわしつつ2本の腕を同時に掴み、突きの方向そのままに
思い切り引き寄せる。自らの勢いを倍増しされた2人の剣は、
イェーラの代わりに互いの胸を深く突き刺した。
その血が床に降り注ぐよりも早く、足元に刺さっていた短剣を
引き抜いて投げると、それは投げた男の眉間に命中する。
寄りかかり合う3人がまとめて倒れたときには、イェーラはすでに
双剣を拾い上げ、船室に踏み入っていた。
「出てこいオルドル!」

一方、分隊の小型船団もベルカナ艦隊の背後からバラゴを叩きに
かかっていた。
艦の間を縫い進み、大魚にたかるピラニアのように、敵艦の船縁に
鉤爪付きの縄梯子を投げかけ、取りついてはなだれ込む。
その先頭を切ったイーサの船は、エルストラの舵取りで、ついに
バラゴの旗艦までたどり着いた。
赤く染めた髪を見せつけるように、イーサは縄梯子を登る。
鼻から額を覆う短い黄金の仮面をつけ、船縁から顔を出したイーサの
もとに、北海の賞金首赤鷲を狙うベルカナ兵が押し寄せる。
イーサは船縁に上がって踏み切り、数人の兵士の頭上を飛び越えた。
着地と同時に背後へと振り上げた剣で、まずは一人を仕留める。
イーサは実戦経験が少ない。けれど不思議と恐れる気持ちは
おこらなかった。
無我夢中の心には何を考える暇も無く、彼は奇妙な満足感さえ感じながら、
無心に敵を打ち倒していく。
ただこれまで体験したことがないほどに、体が熱かった。
肉も骨も意識までも焼き尽くすような、次第にいや増す全身の熱。
高鳴る心臓、膨張と収縮を繰り返す燃えるように熱い肺。
空白の心。
覚醒しきった視界には、顔も動かさず敵が見えた。その剣を難なく避け、
拾い上げた手斧を投げ、振り向きもせずに鉄鎖をよける。
時には鍔迫り合いを演じ、殺陣をかけ合い、気がつくと彼の耳には
一切の音が聞こえなくなっていた。
急激な体温の上昇による一時的な聴覚麻痺だとイーサは知っていたが、
無音の世界は彼の精神を現実から遊離させてしまう。
それは戦っている自分の姿を、離れて見ているような錯覚に陥らせる。
黙って砕ける波に合わせて、揺れる体。
目の前で叫ぶ兵士は、無言劇の役者のよう。静かな戦場のただなか、
見上げると鮮やかな青空に、フギンが羽ばたいていた。
我知らず、イーサは上空へ手を伸ばす。
「陛下」
刹那、一本の剣が背中に刺さった。
「…く」
イーサは背後の敵兵を睨みあげ、背骨の右脇に刺さった剣を素手で掴む。
それでも肋骨を断ち割ってめり込んでくる剣勢が、イーサを船縁まで
押し戻した。
切っ先が体を貫き胸の真ん中を突き破って生え出すと、内部から
逆流するように血が口中に溜まり、あふれだす。
右手に刀身を掴んだまま前にのめり、落ちたとも飛び込んだともつかない
崩れ方で、彼は海中に身を躍らせた。

ベルカナ艦隊は徐々に分断されつつあった。イングス率いる本隊
中央船団の快進撃によって。
東門ウルズ、北門リハゴ、そしてイングスの、3人ほぼ同時の指示で
各船団の一部が戦列を離れ、ベルカナ2提督の脇に回り込むべく
捨て錨で方向転換し、櫂を差し替えて動き出す。

バラゴ旗艦に取りついた小型船上でエルストラが、一直線に降下して
海に落ちる赤毛をみとめた瞬間、バラゴ旗艦の甲板で、
鯨波を縫った兵士たちの声が響いた。
「赤鷲をとったぞ!」
ベルカナ兵に歓声と、オーミ海賊に動揺がたちまち沸き起こる。
「ちっ、何やってんだいあのイーサって野郎は!」
いまいましげに言い放ち、エルストラは武器を置いて海に飛び込んだ。
男よりも男らしい筋肉質な腕で波間に浮かぶイーサを引き寄せ、
左手一本で海面に押し上げる。
船縁から投げ下ろされた2本のロープの1本をイーサの体に結び、
引き上げさせると、自分も甲板に上がる。
頭を振って短い髪から水滴を払い、イーサを起こした。
まだ意識はあるようだが、背中の剣を抜けば急激に出血するので
無理だ。
イーサは咳き込んで水と血を吐き出し、なんとか一人で身を起こす。
止血も治療もできない致命傷だと、お互い分かっている。
「仮にも赤鷲を名乗ろうって奴が、ざまぁないね」
イーサは答えず、ただ必死に立ち上がり、荒い呼吸で歩き出す。
向かった先は船倉だった。
体重をかけて扉を開け、倒れるように転がり込むと、そこに置かれた
樽の一つを引き倒す。
樽の蓋が外れ、転がり出たのはライゾだ。
もはや立ち上がれないイーサは樽に寄りかかって自分の上体を支え、
黄金の仮面をかき落として、いまだ意識の戻らないライゾを
胸に抱えた。
「殿下、私の舞台は、ここまでで、ございます」
一言発するたびに唇からあふれる、気泡の混じった血。
心臓が脈打つごとに胸からあふれる、鮮やかな血。
それがライゾの金髪をみるみる染め上げる。
「どうか、お目覚…、ライゾ、様」

「イングス船長!船影確認!ほ、北東から船影です!」
檣楼手の声にイングスは目を見開いた。
北東。北東と聞こえた。
旧ダノワの漁港を利用してベルカナ艦隊が数を増すなら、
東南から来るはずだ。
北東。
それはネツァークからオーミへの航路を意味する。
イングスが声を張り上げた。
「数と距離は!」
「中型の軍艦で30隻!距離は4スケッキル!
到着まで1センクかかりません!イングス船長、あれは
朱塗りの艦隊です!」
「ネツァーク正規軍か!」


つづきます


4章 ダラテナの海戦 |トラックバック(0) |コメント(0)

プロフィール

シカピ

Author:シカピ
数年前、とある美声にひと耳惚れし、
そのまま声フェチに、そして
ヤンデレに行き着きました。
同じ道を通った人、いますか?

真冬以外は年中花粉症です。

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