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ミズァスートの門(黄金の太陽16回目)

テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

抱き起こし、顔にかかる赤い髪を手でそっとよけた。
明け方の仄白い光に血の気のない顔が浮かぶ。
ライゾは青ざめた。
「私の寝所まで無傷で入り込むとは、北海の赤鷲の名は
伊達ではないようね。」
アストールとコーヴァ、衛兵を伴って入り口に立つ女帝の、怒りがにじむ
声は、けれどライゾの耳には入らない。
振り向きもせず、ライゾはイェーラの上体から血染めの服を剥ぎ取った。
傷はひとつ。右上腕部から鳩尾を通って左胸の下、左わきへ抜ける
一直線の切り傷。血の色は真紅、内臓からの出血に独特の朱赤ではない。
胸の血は止まっているようだ。最も傷が深いのは右上腕部。
力の入り方からして斬った人物は左利きらしい。
出血が止まっていないのはそこだけだ。
けれど動脈の出血で体温が低い。脈もゆるい。
急がなければ。
ライゾは衣装箱から新しい布をつかみだし、水差しを運ぶ。
次いで通気口の格子の間から手を伸ばし、届く限りの青草を摘んだ。
ここにこの草が自生していて運がよかった。
ライゾはその匂いを確かめる。
一介の兵士を診るために無視された帝国の主が、何か言っているが
聞こえはしない。
毟った草をひとつかみ、口に含んで噛み潰す傍ら、水差しの水を傷に
かける。水に流れた血の下から、また新しい血がみるみるあふれた。
何か言い募るアツィルナに一瞥もくれず、ライゾは噛んだ草を傷に
貼り付け、またひとつかみを口に放り込む。
先ほどの燭台を手繰り寄せ、脚で固定したその針を使って片手で布を
裂きながら、片手は動脈を圧迫止血する。
噛んだ草で傷を覆いつくし、包帯状に裂いた布を巻きつけるころには、
出血はほぼ止まっていた。
最後にもう一度脈を確認しつつ、指先につけた水をイェーラの唇に
数滴たらす。
そうしてようやくライゾはアツィルナを振り返った。
が、なぜか鉛の塊が喉につかえたようで、声が出ない。
ライゾは息を吸いなおし、詰まった声を絞る。
「医者を、呼んでもらおうか」
アツィルナは逆撫でされた怒りに目を見開いた。
いかに優れた良品であっても、これはやっと15の子供。それが敵国の
懐深く虜囚の立場にあって、頼むどころか命じてくる。
「良い、度胸ですこと」
寝込みを襲われ、命を狙われ、港を攻撃された。それらを招いたのが
このちっぽけな少年だとは。
今は何をしようと、ここに彼女の不利になる証人はいないのだ。
アツィルナはコーヴァが腰に下げている鞘から剣を引き抜き、イェーラの
首に突きつけた。
「ランツァ湾から全ての船を撤退させなさい」
太身のオーミ製とは違い、先に向かって細くなるネツァークの諸刃の剣に、
窓から差し込む暁一閃、刀身を伝って雫のように切っ先でわだかまる。
その光に息を呑むと同時に、ライゾは喉に詰まった鉛の塊をも飲み下した。
息苦しさに、吐息が乱れる。
鉛は腹の底で怒りをまとって温度を上げ、激情に溶けて血管を疾駆する。
熱い。
ライゾの体が小刻みにわなないた。
アツィルナがイェーラの皮膚を破らない程度に、剣を頚動脈に押し当てて
唸る。
「この女の命を惜しむなら、私の港から即刻、そして永遠にお退がり!」
ライゾの鼓動が大きく脈打つ。
イングスが来たのだ。
そのためにイェーラは侵攻までの囮になった。
頭の芯が憤激に白む。細胞までが侵されるような、こんな憎悪を
噛みしめたことはない。
気がつくと、ライゾは切っ先を素手で掴み上げていた。
握った手の内から流れる血が、イェーラの頬に滴る。
少年の体から立ち上る荒々しい瘴気。アツィルナの目もくらむ怒りが、
それに晒されて沈黙する。
この凄まじい殺気は何だろう。これまでのライゾとは別人のような憤怒。
生き神というより、鬼神ではないか。
この眼、この手応え。相手にとって不足はない。
ライゾに対する認識が変わったこの瞬間、アツィルナは打って変わって
冷えた声音で詰め寄った。
「さぁライゾ王よ、返答はいかに」
その時、イェーラが薄く目を開いた。
はっとしてライゾが振り返ると、イェーラと目が合い、その唇が
物言いたげに動く。
「…陛、……ふ、ね、……捨…」
こんな時なのに、ライゾの口元には笑みが浮かんでしまう。
会えて嬉しい。とても嬉しい、と。
それならいっそ、笑ってみようか。コーヴァのように、明るく軽やかに。
「ああ、必ず船に連れ帰る。何を捨てても、おまえだけは見捨てない。
安心して眠れ。」
言おうとしたこととは反対だろうが、イェーラの瞼は再びゆっくりと
落ちた。
ライゾは掴んだ切っ先を強引に持ち上げ、同時に剣の柄頭を蹴り上げる。
アツィルナの手から抜けて宙に浮いた剣を、ライゾが空中で受け止めた
刹那、ひゅっと音を立てて刃が閃く。
直後、アツィルナを挟んでコーヴァと反対の位置にいたアストールの
額から、一筋の赤い雫が流れ落ちた。
「勘違いするな。選ぶのはそっちだ。
ほら、早く医者を呼べ、その愛人3号を殺されたくなきゃあな。
おまえだろ?イェーラを斬ったのは」
ここで右腰に帯剣しているのはアストールだけだ。
「俺もイェーラも子供のときから両手利きに仕込まれてんだ。そこの
閨房秘書官も両手利きと見える。でなけりゃおまえごときにイェーラは
斬れない。」
ライゾはイェーラの体をまたいで足場を決め、剣を構えた。
「さっさと決めろ。何なら全員でかかってこいよ。どうせイェーラが
ここで死んだら、おまえらは未来永劫オーミの敵だ。
一人残らずぶっ殺すまで、俺は許さない。オーミの黄金一塊残らず使い
切ろうと、おまえら全員を刻むまで絶対に止めない。」
衛兵とアストールが剣を抜き、剣を取られたコーヴァが体でアツィルナを
かばう。
その腕を押しとどめ、アツィルナが眉根を寄せた。
「なんと愚かな。少し買いかぶりすぎたようですね」
先々帝の廃嫡子の庶子に生まれ、幼いころから幽閉同然に育ち、何度も
暗殺されかけ、3度も投獄の憂き目を見た。
そこから這い上がり、一代でネツァークを北海一の大帝国に押し上げた。
愛人や子供が何人いても、彼女はひとりだ。それで当然だと思っていた。
これまでも、これからも、血を浴びても泥を飲んでも、命の果てまで
一人で闘わなければならない。
それが君主というものだから。
個人的な恨みに国を賭けるなど暗愚の極みであって、受け入れる者など
どこにもいないだろう。
けれどライゾは口角を片方だけ吊り上げて言う。
「さあな。どれほどに買ってくださってたかなんて知らねぇよ。
それでも俺はオーミの神だ。俺がオーミの全てを受け入れる限り、
オーミは俺の全てを受け入れる。
だから船は退かない。こいつも絶対死なせない。
俺の腹はもう決まってる。
つまり選ぶのはあんたの方だ。決めろ。医者を呼ぶか。
それともここで、最後の一人が決まるまで殺しあうか?」
アツィルナは想定外の事態に苦々しく息をついた。
虚勢でも脅しでもない。ただただ真っ直ぐに、彼は本気だ。
このままでは確実に死人が出る。
しかもそれは無駄な犠牲でしかない。
赤鷲とライゾがどんな関係かは分からないが、駆け引きのない言動には
混じりけのない愛と怒りが映っている。
これでは手のつけようがない。
その時、外から鳥籠に駆けつけた兵士がひとり、困惑した様子で中の
衛兵に耳打ちした。
衛兵は血相を変えたが、女帝に話しかけられる空気ではない。
それで彼はアツィルナから一歩下がっていたコーヴァに伝え、
「…皇帝陛下」
コーヴァがアツィルナの背後から、そっと小声で話しかけた。
「私は医者でもありますので、お役に立てるかと。」
続く言葉はライゾに聞き取れないよう耳元にささやく。
その報告に、アツィルナは内心で驚愕する。
「わかりました。そうしましょう。」
「は。」

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ウルマーロ宮から程近い、ミズァスートの港。
そこには入国の際に必ず通らなければならない検問所がある。
3つ並んだレンガ造りの建物。そのひとつに、アツィルナは交渉の席を
設えさせた。
街側の扉を背にした席には、アツィルナを中央にして、左に海軍総司令官
アードラ・サバハ、ウルマーロ宮付書記官ジュアン・カレエ。
右に財務長官代理バンディ・ドートツァーリとミヅァスート領主ナナ・
アストール考皇。
さらに閉じられた扉の外にはアザト・コーヴァとフレカステイン連隊の
一個師団が固め、切り札としてイェーラの身柄もそこにあった。
対する港側の席には、オーミ副王オースィラを中央にして、右に国王顧問官
アルヴィース、財務官ヤルル、海賊長イングスとその副官ロッドファブル。
左にヤヴンハール・エフワズと、バラゴ亡き今、実質ベルカナ国王である
王太子ガラドラル・バレッジがいた。

ダラテナ海戦の直後、ライゾを攫われた上に追跡船さえ振り切られた
イェーラは、怒りにまかせて敗残の捕虜を船ごと燃やした。
帰国後、兄の誘拐を聞かされたオースィラは、一日も早く兄を取り戻せと
自分のヤヴンハール・エフワズに訴える。
そのためエフワズは、イェーラたちが連れ帰った王太子ガラドラルに
目をつけた。
長い髪と小柄な体で、なよかやな姫のように振舞う王太子。
敵国の地にあって青ざめ震える表情に、エフワズは尋問しようとする
イェーラを止めて言った。
「10日待て。」
そうしてエフワズはオースィラとソウェルを月神殿に引っ越させ、
瑤神殿をガラドラルの宿舎に充てて、ガラドラルの世話係として瑤神殿に
住み込んだのだ。
従僕に扮したエフワズの控えめな微笑や慎ましい態度は、ヤルルをして
“見慣れない召使”と言わしめたほどだ。
その甲斐あってガラドラル、ひいてはベルカナはオーミの手に落ち、
2週間後にはガラドラルに指示されたベルカナの間諜たちが、見事に
ライゾの居場所を突き止めたのである。

そして今日、愚かにもそこに座ることの意味も満足に理解しない
ガラドラルは、王国の死神バーヴルに戻ったエフワズの横顔を、
食い入るように見つめている。
まず驚き、次に戸惑い、やがて口惜しくも切なげに、悪魔に惚れた人妻
よろしく悲壮な愛を込めた目で。
一方、ようやく傍らに戻った大事なヤヴンハールを物欲しげな目で
舐め回され、オースィラは場の緊張感も忘れるほどに機嫌が悪い。
それでも同席を許しているのは、偏にオースィラが房事の実際を知らない
からに他ならない。
女の仕草と心を持つガラドラルのか細い姿。
オースィラは顔を背ける。
するとエフワズは心を焼き付けるように彼女の瞳を覗き込み、自分の
気持ちが誰にあるかを伝えようとする。
それでも拭えない嫉妬心が、這い回る百足のように胸の内を蝕んでいく。
エフワズとオースィラの犠牲。
その効果に肝を冷やしたのはアツィルナ・マルクトだった。
ミズァスートの港を制圧したのは間違いなくオーミ海賊だが、その船団を
小規模ながら護衛する形で、ベルカナ艦隊が後続しているとの
報告だったのだ。
どういうことだと思ったが、目の前の三角関係が如実に説明している。
まずい状況だ。
が、そんな状況は、いつでもアツィルナをより果敢にする。
女帝は微笑んで口火を切った。
「はじめまして、オースィラ内親王殿下。」


つづきます


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ミズァスートの門(黄金の太陽17回目)

テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

「オーミはネツァ-クの傘下に下りました。」
実に35日目の帰国後、半日とあけず召集された
御前会議での、それがライゾの第一声だった。
誰もが耳を疑いたくなる第一声。
「オースィラは質としてネツァークに残り、
エフワズが行方を追っています。」
ライゾはミズァスートでの交渉の後、再びケセド・アマルーを雇いなおした。

ミズァスートの門で、港を制圧した海賊団を背景にオースィラたちが
提示したのは、女帝アツィルナ・マルクトが署名したベルカナとの共闘の
覚書と、それをダラテナ海戦の混乱に紛れてバラゴのもとから盗み出した
間諜の遺体だった。
それをもとに敗戦国ネツァークに賠償金を請求したのだ。
おそらくライゾの身柄と引き換えに、賠償金の帳消しを申し出ると踏んで。
しかしアツィルナは覚書を見たこともないと一笑し、言い放つ。
「皆様には何か大きな誤解をしておられるご様子ですね。
それでこのような無体をなさったのですか。ならば誤解が解ければきっと
船をお退きいただけましょう。
私が受けた報告では、我が国の貿易船数隻が航行中に貴国とベルカナ間の
戦場に出会いましたとか。持ち船の安全のためには動くに動けず
心ならずも見物するしかなかったと聞いております。
ましていずこの狂人とも知れない男にかどわかされた貴国の王をお助け
しましたのは、その貿易船に知らせを受けたこの街の領主アストール
であり、その身代金5万サーラも立て替えておりますのよ。」
そしてオースィラたちが持ち込んだ間諜の遺体に、彼女は眉尻を下げた。
「見知らぬとはいえ、その者には同情を禁じえません。
誤解で命を奪われたのですからね。哀れなこと。
その上に港を襲い、何の咎もない我が民を害するとは許しがたい行為です。
この惨状をいかがなさるおつもりですか。
物言わぬ遺体は何も証明しませんし、覚書にしたところで、私の筆跡など
いかようにも真似られましょう。
そんなものを身代金や王の身柄と引き換えようとは、まさか本気では
ありますまいね。」
ならば今すぐ攻め入るまでとイングスが腰を上げかけたタイミングで、
アツィルナはようやくライゾを検問所に入れた。
その登場は劇的なほど効果がある。
アツィルナはあえてライゾを、イェーラの血に塗れた服のまま入らせた。
互いに分かっているのだ。
今ここで戦えば、両国ともに大きな痛手を被るだけだと。
海賊団は陸軍ではないし、敵の本拠地で戦う不利は大きい。
ネツァークもまた、反乱のドゥネイル地方に陸軍の半数以上を
割いており、街を守る一連隊ではどうにもできない。
何よりライゾには、イェーラの命が最優先だったのだ。
よってライゾはエフワズやアルヴィースたちと話し合い、方向転換を
目論んだ。
「皇帝陛下、私ライゾはダラテナ海戦の折、不逞の輩に攫われ貴国に
助けていただいた。ということは、迎えが来た今、私は帰国しなければ
なりません。
ご親切の返礼に、今港を占拠している無頼の海賊を追い払って
差し上げる。この遺体がネツァーク人なら、私から遺族に5万サーラの
見舞いと補償を申し上げましょう。
そして我らが友情の証に、港をすべて元通りに。」
しかしアツィルナはより多くを求めた。
ライゾにとってイェーラがどういうものか、彼女はもう知っているのだ。
その程度の見返りで、引き換えてやる気はない。
噛み付くような凶暴な高笑いののち、アツィルナは勝利を確信した。
しかもベルカナまで込みの一人勝ちを。
「よろしいですこと。けれど友情の証には、是非そちらの妹君を
お迎えさせてくださいませな。
それに、壊れたものを直すというのは存外に時間も費用もかかります。
そう、復旧の期間は、向こう10年ほどでしょうか。
1年に10でいかが?」
事実上の納税であり、藩属ともいえる条件だった。

ランツァ湾を出る船の上で、エフワズが当然のように申し出る。
人質として単身ネツァークに残るオースィラを影から追って連れ出すと。
ライゾもまたそれを当然と思っている。
「たぶん女帝はすぐにオースィラをビルレストに移送する。首都から
港までは遠い。アザト・コーヴァにつなぎをつけろ。さっきイェーラを
運んできた黒髪の男だ。
女帝の愛人で、領主アストールの元秘書でドゥラスロール人。
俺に恩を売りたがってたから、一旦ドゥネイルへ抜ければいい。
そこへなら、こっちからも迎えに行ける。
それから」
ライゾはいつの間にか、ちゃっかり乗船していたケセド・アマルーを
振り返る。髪を染め、名乗らなければ気づかないほど雰囲気を変えていた。
乗船前、担架に乗せてイェーラを運んできたコーヴァと数人の兵士の中に
紛れていたらしい。
「ケセド・アマルー、約束の金だ。」
ライゾが渡した金貨の袋を、アマルーは嬉々として覗き込んだ。
オーミを未曾有の危機に陥れ、不利な取り決めの元を作った張本人。
金銭には忠実らしく今回は契約を守ったが、イェーラがあんな無茶をした
発端がこの男と思うと、できれば今ここで斬り殺してやりたい。
ライゾの視線の不穏さを感じたか、エフワズの目が問いかけてくる。
「ああ。俺を攫ったのはこいつだ。」
ライゾの言葉に、エフワズは何の表情も、予備動作もなく動いた。
「待て!」
アマルーの喉元で、ぴたりと短剣が止まる。
ライゾは息が止まるかと思った。どこから短剣を出したかさえ
見えないほどの速さだ。
「殺すな。連れて行くんだ。」
まだ殺せない理由がある。ライゾはエフワズに耳打ちした。
「アマルーはソレイ島の秘密を知ってる。まだ殺すな。」
まだ、ということは、事情によっては後で殺してもいい。
国内に入れるわけにはいかない。が、手放すこともできない。
連れて行って、アマルーの腹を底まで割り出してから始末する。
ついでに金貨も取り戻そう。
とエフワズは決めて剣を収めた。
「御意に。」
淡々と頷いたエフワズに、たった今殺されかけたアマルーが
平気な顔で腰をかがめる。
「エフワズ様、我が胸を焦がす陛下への忠誠はお側を離れても変わりなく、
その陛下のご信任厚きお方であれば、恐れながら私には敬愛する師も
同然。そのご用命は一身を賭しても果たす覚悟でございます。どうぞ
何なりとご下命くださいませ。」
エフワズの色のない瞳に一瞬よぎった光を、ライゾは見た。
その目で見られたのが自分でなくて良かったと、ぞっと身震いする。
オースィラを危難に晒す原因であるアマルーの、凄惨な死に様を
想像せずにいられない目だった。

エフワズとアマルーは途中で船を降り、沖から小船でネツァークに
再上陸することになる。
ライゾたちは一旦イアブールの港に降り、もしものときの身代金として
イングスたちが積んできていた黄金を、そのまま小型船に積み換えた。
そこから街道を通って王都に戻ったライゾは、真っ先にエフワズ配下の
間諜たちのトップ2、ヴァルキールとベルダンディにフギンを飛ばす。
<イアブールの港に船を用意した。
マクールに上陸し、内陸を北上してドゥネイル地方に入り、独立軍に
手を貸せ。エフワズがオースィラを連れてくるまでにネツァークの
兵士を一人でも多く減らし、出国の安全な通り道をつけろ。>
さらにライゾは執政大臣たちのみならず、水路の整備技師、神殿の設計士、
建築技師、造船技師を緊急に呼び集め、それらが揃った時点で会議に
至ったのだった。

「オーミはネツァークの傘下に下りました。
向こう10年間、1年に100万サーラの支払義務を負います。
1回目の支払期限は100日後です。」
国王が無事に帰還した喜びも束の間、怒りの混じった落胆とユマラの
名を呼ぶ失意の声が、第一執務室を覆う。
が、ライゾはむしろその反応に一瞬驚き、直後に明るい声と表情で
笑みさえ浮かべて言った。
「もちろん払う気はありませんよ?」
全員が、しんと静まり返る。
ライゾは居住まいを正した。
「今回オーミが被った国難は、すべて私の不徳の致すところ。
許されることとは思いません。民にあわせる顔もない。
せめて100日後までに、必ずオースィラと国を取り戻します。
けれどそれさえ、私一人ではできません。
だからお願いします。私に皆さんの力をお貸しください。
この失態を挽回する機会を、どうか与えてください。」
まるで13歳の春に戻ったような真っ直ぐな言葉。
けれど13歳の春とは、明らかに違うその瞳。
怒りも憎しみも悲しみも、歪みなく昇華して成長の糧とする、
逞しくも柔軟な心。
率直な気持ちは、率直に届く。
今は主席大臣となったマンナズの、簡潔な答えが皆を代表した。
「御意のままに、陛下。」
「ありがとう。
では、始めにいくつか提案があります。
まず王太子ガラドラルですが、ダラテナ海戦の敗戦の賠償として、
ベルカナからヴィンダールブを割譲させ、身柄を返還。
祖国で王に即位していただきます。」
ヴィンダールブはベルカナの首都モルハバから大きく西北西へ外れた
辺境地域だ。
岩塩が少し採れるだけの痩せた土地に暮らす人々は、重税に借金し、
犯罪に走る。土地を自由に移れないベルカナの法の下、
彼らは生きも死にもできない人生を、貧困の中で送る。
ガラドラルでなくとも、くれといわれれば誰でも喜んで手放すだろう
生産性のない土地。
けれどそこはドゥラスロール時代のドゥネイル地方と街道でつながり、
交易があった場所でもある。
「ヴィンダールブに再び商人を通わせ、免税します。」
かつては賑やかに市が立ち、商人たちが行き交った町。
ドゥラスロール公国の豊かな農産物、ネツァークの工芸品、マクールの
織物、ベルカナ産の馬具や武具。
活気にあふれていたヴィンダールブの衰退は100年前。
ネツァークの侵攻による公国の崩壊に始まり、隣国ベルカナにおける
バラゴの即位とその政策が拍車をかけ、マクールが周辺の2公国
テュルヴィンとイルローズを乗っ取って通商の道が途絶えたことで、
そこは不毛の土地となったのだ。
「町に巣食う犯罪者も一掃し、かの地にオーミが楽園をもたらすのです。
敵国に切り売りされる恐怖を下敷きに、相当以上の感謝を集めれば、
民は時として軍より優れた伏兵になりえると、イングスは
教えてくれました。
これは、ベルカナに埋ける火種です。
ガラドラルの治世など長く続くはずもない。いずれ新しい王が立てば、
新王は税収のためにヴィンダールブを取り返すでしょう。
オーミが手を引き再び重税にあえぐとき、オーミを慕う民を扇動し、
ベルカナ王宮に弓引かせることもできるかもしれない。
蟻の一穴というものです。
先ほど始めに、と言いましたが、これは最初にして最も遠い計画の
ひとつです。
次に、これより我がオーミの海賊はすべてベルカナ商船の専属とし、
その他の国の船を襲うことを禁じます。
そのための新造船も行います。必要な資金はヤルルに相談してください。」
色をなすヤルルにライゾは明るい笑みを向けた。
ヤルルが貿易船を私有しはじめて荒稼ぎしてると、教えてくれたのは
アルヴィースだ。
「その船をもってベルカナ船から100万サーラに達するまで
奪いつくすのです。
私はネツァークでのアツィルナ・マルクトとの交渉の折、
ベルカナ・ネツァークの共闘の覚書、その裏に支払いの誓約を書き、
両面にガラドラルの署名を取り付けました。
アルヴィースの機転によるものです。」
覚書を目にするまでライゾは知らなかったが、そこに約されていた
共闘には具体的な期限がなく、<当面>とだけあった。
そのおかげでガラドラルが署名した今、ネツァークは今もって
敗戦国なのだ。
アツィルナにとって守りたい署名と破りたい署名が、文字通り
表裏一体となった。
ならばどちらかの署名を<破りたい>ではなく<破るしかない>
状況にもっていってやればよい。
「もし女帝がベルカナからの略奪品を私に献上されて受け取り、且つ
ベルカナがその事実を知れば、エフワズに逆らえないガラドラルは
女帝のほうに申し立てるでしょう。
それを退ければ、あるいは女帝がオーミを止められないとなれば、
覚書に反してネツァークはベルカナとも事を構えなければ
ならなくなります。
それを避けたいなら、女帝はオースィラの命を盾に、身銭を要求するに
違いありません。そのための人質ですから。
そこで、ああ、本来計画の前提、要として真っ先に手をつけるべきなのは
これですが、その下準備は終わっているので問題ありません。
今ネツァーク南部で起こっている反乱です。
ドゥネイルでの反乱はかなり大規模なようですが、終結は近いのです。
女帝の軍に追い詰められた反乱軍は、現在その首謀者である総督の館に
篭城中です。
ヴァリキールとベルダンディにそこへ向かってもらいました。
独立に手と金を貸し、引き換えにエフワズが連れ出した後、
オースィラの身柄を総督に保護してもらいます。
それまでにベルカナとの賠償交渉を済ませ、女帝からオースィラという
切り札を奪い取った時機を見計らって、ガラドラルを帰国させたいと
思います。
それから最後に、集まっていただいた水路整備技師、神殿設計士、
建築技師、造船技師の皆さん。
より確実にオースィラを救い迎えるために、皆さんの知恵と技をもって、
ひとつ大掛かりな仕掛けを作っていただきたいのです。」


つづきます


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プロフィール

シカピ

Author:シカピ
数年前、とある美声にひと耳惚れし、
そのまま声フェチに、そして
ヤンデレに行き着きました。
同じ道を通った人、いますか?

真冬以外は年中花粉症です。

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