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預言者は語る(黄金の太陽24回目)

テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

<ネツァーク帝国ドゥラスロール公国間恒久相互不可侵条約交渉担当
特命全権大使麾下、陸軍国境方面軍第一師団内第二歩兵部隊隊長補佐役
仕官バルド・マーニテュール待皇より、我が皇帝アツィルナ・マルクト陛下に
謹んでご報告申し上げます。

かねてより定めし日時に従い、二国間条約の調印およびオーミ副王と
その従者一名の引き渡しが、国境線上の天幕にて行われました。
こちら側より天幕内に立ち入りを許可されましたのは
各部隊長以上級者、合計二十名。
先方からは新ビァーゼ大公、旧バーレイグ大公のみにて、全隊は両国軍とも
天幕より百歩の距離に控えて引渡しが完了。
しかし、ドゥラスロール二大公が天幕を離れ自軍に合流、国境を越えました後、
我々は天幕の異変に気づき、部下五人と共に立ち入りましたところ、
特命全権大使と各部隊長を含む二十名全員の死亡と、オーミ副王とその従者の
不在を確認するに至りました。
遺体の状態から、二十名は全て素手、もしくは剣による一撃にて絶命したと
みられ、天幕内外の状況から、オーミ副王の従者による犯行と思われます。
すぐさま追跡隊を編成すべく天幕外に出ますと、我が第一および第二師団、
合わせて千五百名は全て昏倒、多くは死亡しており、絶命寸前であった
友軍の一人から、灰色の髪の見慣れぬ兵士が、故郷のまじないと称して
黄色い粉末を風に乗せて撒いたとの証言を得た由にございます。
正体不明の有毒物により生存者は私を含む十八名のみとなり、
うち十五名がオーミ副王と従者の捜索にあたっておりますが、
現在のところ有力な手がかりは得られておりません。
以上のことを取り急ぎお伝えし、陛下のご指示をお待ちしております。

国境守備隊宿舎にて。バルド・マーニテュール>


ネツァーク女帝アツィルナ・マルクトの元へ届けられた第一の手紙。
それは彼女を戦慄させた。
20人をたった一人で殺害したオーミ副王の従者。
アツィルナの瞼に、ミヅァスートの門で見た銀色の髪の男が即座に浮かぶ。
オースィラとガラドラル。二人の眼差しから容易に見て取れる三角関係の
中心にいた男。
その顔は死の静寂に似た冷ややかさを湛えていた。
そして彼が行った殺戮と逃亡を補助し、二個師団を壊滅させた
灰色の髪は、ケセド・アマルー。
あの時の灰色狼だ。アツィルナは直感する。
皇子オルグのエウリア宮を襲撃してオースィラを奪い、宮を全焼させた
盗賊団。
幸いオルグ皇子は愛人の家へ出向いていて事なきを得たが、それも
あの2人の仕業に違いない。
この2つの事件にドゥラスロール大公の意思や手助けが生きていたとは
アツィルナは思わない。
全滅寸前の反乱軍にそんな余裕はないだろう。ギースルなき後、
烏合の衆に形をつけてオースィラを送ってこられただけでも上々というもの。
にもかかわらず何の助力もない中でこれだけのことをやってのけた。
しかもたった二人で。
とんでもない伏兵だ。
もしかするとまずい敵を作ってしまったのではないか。
ライゾ王は愚かではないが、若い。
あの二人を、ようやく成人したばかりの王に、腹の中で飼い慣らせというのは
無理難題というものだろう。
アツィルナは矢のような速さで追跡隊を作り、それを4つの経路に分けて
散開捜索させる。
しかしその結果は惨憺たるものだった。


<海軍南方方面軍トッグ・イールズ提督麾下、オーミ副王及び従者の追跡捕獲
特別編成部隊内第一班マクール経路探索隊隊長エンツォ・デュブロー伺皇より、
我が皇帝アツィルナ・マルクト陛下に謹んでご報告申し上げます。

オーミ副王とその従者は、マクール領旧マルデル内最北の港で小型の軍船を購入し、
マクール人の乗員3名と出港。
針路はオーミ王国南門の大小いずれかを指していると思われ、第一班は同型の
軍船を借り入れて追跡を進めました。
11日間の追尾航行の後、トレノエイル岬を臨むオーミの大小南門の中間点、
エギルとイアブールの各港から4スケッキルの沿岸にて
副王の船の櫂を捉えた次第でございます。
すぐさま白兵戦の構えをもって乗り移らんとしたところ、副王と従者は軍船を
放棄、小艇を降ろし、岬の崖下にうがたれた洞窟へ漕ぎいれて逃走。
当方も小艇にて追いましたが、洞窟内に僅かに入った位置で
突如として水面に穴が開き、副王の小艇は海水と共に穴へ吸い込まれ
姿を消しました。
荒唐無稽な事実によって捕獲に失敗、行方を見失いました失態を
ご報告せねばならないことを心よりお詫び申し上げます。
一班総員にて水面下と水底を探るも、艇の破片や櫂、また入り口の痕跡など
発見には至らず、真に面目次第もなく陛下のご裁定をお待ちするものであります。

ダラテナ諸島南端エナン島にて。エンツォ・デュブロー>


海に開いた穴。
それはライゾ王が帰国後すぐに集めた水路整備技師や神殿の建築技師、
港や船の設計士などの技術者たちに作らせた仕掛けだった。
海底に沈んだ鍾乳洞は、ライゾ自身が神殿に帰還した折、沈没した船から
逃れてトレノエイル岬へ泳ぎ着いた時に発見したものだ。
引き潮に排水される鍾乳洞の空間。そのさらに下を流れる水音。
ライゾの推測は当たっていた。
水底に開閉用の弁をつけ、そこから繋がる地下川へ逃れて、
安全な場所で地上へ出る。
その出口へ迎えを遣っておけば、彼らは最短距離で王都へ戻れる。
水底の弁の開閉方法は、ヴァルキールへ宛てたフギンに託しておいた。
飽くまで追っ手を振り切れなかった時の最終手段として作ったそれは
現在も工事中で、ライゾは最終的に神殿のフラールまで繋げる
計画だった。
当初からの予定ではなかったが、雇った工事人が
一度掘って埋め戻した痕跡を地下川で発見し、掘り起こしてみると
それは王都グリームニルに向かって延びていたからだ。
時間と費用はかかるだろうが、作っておけば何かの役に立つことも
あるかもしれない。
ライゾは財務官ヤルルの反対を押し切って、秘密裏の工事を始めたのだ。
それが早速に役立ったので、ようやく諦めの悪かったヤルルも口を噤んだ。
そうして妹が無事に帰りついた翌日、ライゾはアツィルナ・マルクトへの
手紙をしたため、金貨と宝飾品、織物などを船に積み、
使者をつけてネツァークへ向かわせた。


<オーミ王国第84代国王ライゾ・ロヴァルギス・ミュゼファンより
我が皇帝アツィルナ・マルクト陛下に申し上げます。

先だっての約定に基づき、ご請求の金貨10万サーラを献上いたします。
期日100日を尊守せんがため、櫃に刻まれし紋章、有翼の蛇を削り取る暇が
ございませんでしたこと、ご無礼ながらご容赦くださいませ。
また添えて献上いたしましたるいくらかの品物は、
このほど帰国いたしました我が妹オースィラに、陛下がくだされました
ご厚遇への謝意でありますれば、些少ながらお納めいただければ幸いにございます。
次回一年後の奉献時には、是非とも我が国へ陛下のご臨幸をいただき
私の心からの歓待をお受けいただければと存じます。
なお、これらの品をお納めいただけない場合には早々にご連絡を。

グリームニルにて。陛下のしもべ、ライゾ・ロヴァルギス・ミュゼファン>


無論、有翼の蛇がベルカナの新国王となったガラドラル・バレッジの
紋章であることは周知。
また支払った金貨はそのままベルカナ貨幣、献上品もベルカナ商船からの
略奪品であることはいうまでもなく、宝飾品もベルカナ細工なら
織物はベルカナ貴族の家紋を地模様に織り出してあるという
念の入れようだった。
アツィルナとしても、オーミによる近海での海賊行為の増加や、
10万サーラの献金期日の延長、あるいは減額の申し入れぐらいは予想の範疇だったが、
まさか値切りもせずここまで露骨なやり方でくるとは、実に有難くないパターンだ。
それもこれも、あの銀色の死神のせいか。
あの男が、王女を横目に娼婦よろしくガラドラルに身を売った、その代償は
ベルカナ一国だったというわけだ。
その自信があるから、ライゾ王もこれほど強気に踏み切れる。
しかもまずいことに、オーミからの使者と同じ日に、ベルカナ使者も
書状を携えてアツィルナのシンフィエトリ宮に到着していた。
うっかり謁見控えの間で鉢合わせかけた彼らをすばやく引き離したのは、
女帝の秘書官としてシンフィエトリ宮での地位についた、黒髪の愛人にして
ドゥラスロール公国の間諜、アザト・コーヴァだった。


<ベルカナ王国国王ガラドラル・バレッジ・イレ・ベルカナより
我が友にしてネツァーク帝国皇帝アツィルナ・マルクト陛下に言上いたします。

陛下、両国の協約をミヅァスートの門にてご確認いただきましたこと、
まずは御礼申し上げます。
これにより両国間の戦時協約はオーミ国王という証人を得、新たな
二国間協定となりましたことを確信するものであります。
しかしながらその効力が十分には発揮されておりませんことを、私は感じずに
おれません。
ご存知のように我が国の商船は、海賊の度重なる襲撃にさらされております。
そしてこれらの海賊船が一様に<翼ある獅子>、つまり貴国の海軍旗を
掲げているという憂慮すべき事態について、すでに再三のご相談を
申し上げているにも拘わらず、未だ何の弁明および対処もいただけておりません。
加えて近頃では街道を通過する隊商も、貴国との国境を越えた付近で、
その一部が山賊らしき者どもによって姿を消す事態が頻発しており、
我が国は少なからぬ被害を被っております。
捕らえられた山賊は皆ネツァーク人であることから、この書がお手元に
届きましたなら、早急かつ適正なご対処を下さるよう切に希望し、
期待するものであります。

モルハバにて。盟約の息子、ガラドラル・バレッジ・イレ・ベルカナ>


そもそも公文書ではなく覚書で交わした共闘の密約が、一体いつのまに
協約だの協定だのになったのやら。
盟約の息子、などという署名に至ってはあの若さで耄碌したとしか思えない。
アツィルナの元に届いた4通目の書簡。
不利な密約に対してバラゴ先王の死をいいことに、先にしらを切った
己のあつかましさはさておき、彼女は半ば呆れながらも
その筆跡がミヅァスートで見たガラドラルのものではないことに気づく。
内容も、あの小娘のように震えていた男が書いたのものだとは
到底思えない図々しさだ。
ということは新王の傍らで権力を持ち、外面だけでもそれなりの強腰に整えた
手紙を、王の名の許に送れる誰かがいるということだ。
ガラドラルに近い、つまりそれは次の王位に近い者。
アツィルナは考える。
この際その誰かが使えそうな者なら懐柔し、協定の名の元に扱いにくいオーミを
ベルカナに攻めさせるか。
それとも、あの厄介な死神は、どうも王女に触れない限り祟りはしないらしい。
ならばライゾの機嫌をとり、オーミとともにベルカナを分け合う権利を
頂戴するか。
アツィルナは、先にベルカナ宛に親書を書くことにした。


<ネツァーク帝国皇帝アツィルナ・マルクトより、ベルカナ王国国王
ガラドラル・バレッジ・イレ・ベルカナ陛下に言上いたします。

新王におかれましては滞りなく戴冠式を終えられました由、お喜び申し上げます。
大変にご立派であられたと大使よりの報告を受け、我が事の様に嬉しく思います。
さて、ご要請の件に関しまして、
ミヅァスートでライゾ王にも言明いたしました通り、ネツァーク・ベルカナ間の
共闘を示すかの覚書は巧妙に偽造されたものであり、
私の手になるものではございません。
またその裏紙面への私の署名は、ライゾ王との約定への認証であり、
身に覚えなき密約に関して何らかの効力を持つものではないということを、
ここで再び明言いたします。
しかし貴国の窮状に同情をいたさぬわけではなく、オーミ王国を我が翼下に
収めしことを否定するものではございません。
今後はオーミ王国の姿勢を注意深く監視し、無軌道が行われぬよう取り締まると
同時に、オーミの海賊行為が私の指令によるものではないと証するため、
陛下のお求めあればすぐさま治安維持につとめます我が軍の派遣も、
私の視野内であることをお伝えいたします。

ビルレストにて。北海の旗手、アツィルナ・マルクト>


<ベルカナ王国国王ガラドラル・バレッジ・イレ・ベルカナより
アツィルナ・マルクト皇帝に申し述べます。

貴殿の主張のように、ベルカナ・ネツァーク間の協約書が
偽者であるとするならば、これを我が国が尊守する価値は一部もなく、
早々に破棄するをためらう理由なしと判断し、その事実をオーミ国王に
通知するもやぶさかではないと申し上げます。
同時に治安軍の派遣は協約への裏切り行為であり、我が国に対する
敵対行為として、交戦の用意もやむを得ぬものとの認識を明らかにし、
貴殿のご英断に期待するものであります。

モルハバにて。有翼の蛇、ガラドラル・バレッジ・イレ・ベルカナ>


ベルカナからの返信はなかなかに強気なものだった。
が、その書簡を届けた使者の報告にあるモルハバの様子は、半無政府状態の
混乱したものだった。
加えて放った密偵の調べによると、親書の作者はバラゴ時代からの老臣であり、
新王の傍らで下克上のひとつも起こしてみようという覇気はすでにない。
またガラドラルの身辺には、その寵愛による特権に与ろうとする輩はいても、
国を憂えてクーデターという風潮は、いずれ生まれるにしても
当分は芽生えそうもない。
そして渦中のガラドラルはといえば、エフワズへの恋文に書く詩を作るのに
忙しいという体たらくだ。
これではベルカナを落とすのは容易くとも、その後オーミを制するに不可欠な
軍事力を引き出すことは難しい。
ガラドラル政権の失墜を早めさせ、傀儡政権をアツィルナの手で打ち立てる
という方法もあるが、それには手間も金もかかりすぎる。
おまけに逃げ去るオーミ副王の船に乗組員を、ファルマチュル商会から
手配してやったのがマクール王だったと聞けば、もう何も考える必要はない。
すでに妹を取り戻し、ベルカナの内陸部ヴィンダールブに手を伸ばし始めた
ライゾ王は、アツィルナにとって素晴らしい恋人になった。
今は少し拗ねているけれど、どんなものも修復は可能だ。
かくして彼女の恋文がライゾの元へ届く。
ただし百戦錬磨の毒婦の恋には、嫌な駆け引きがつきものだが。



つづきます



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預言者は語る(黄金の太陽25回目)

テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

「ネツァーク帝国皇帝アツィルナ・マルクトより、我が友にして
オーミ王国第84代国王ライゾ・ロヴァルギス・ミュゼファン陛下に
申し上げます。」
イェーラは太陽殿の第一執務室からつながる休憩用の小部屋で、
昼食をとるライゾ王の傍らに立ち、手紙を読み上げる。
[友?いつから?」
眉をひそめるライゾの目の前には書簡と共に届けられた、
見たこともないほど美しい銀細工の長剣が、飾り台に立てかけられている。
それを視界の隅に、イェーラは少し声を落とした。
「陛下、国賓としてお預かりしておりました妹君を、あのような危機に
晒しましたこと、申し開きもなく、まずはお詫び申し上げます。
この度、ご無事にご帰国なされたと伺い、真に喜ばしく安堵に胸をなでおろして
おります。
我が第2王子オルグはオースィラ殿下のご滞在中、殿下に恋をいたしましたが、」
「は?」
ライゾは思わず声をあげ、匙を取り落とす。
「宮の焼失に当たって殿下の御身を守れなかったことを日々心に病み、
悔恨に身悶えております。
我が息子は姫君と離れた日から、日ごと夜ごと港に立ち、彼方のオーミに向かって
ため息を繰り返し、殿下に焦がれるあまり食事も喉を通らぬ有様で、
面やつれした姿が愚かな親心には痛々しくございます。」
その文面の気味悪さに、身悶えたのはライゾのほうだった。
「また陛下ご自身のご滞在中におきましては、はからずも御身に剣を向け、
お手に傷を負わせましたこと、さぞお腹立ちとは存じますが、
己が不心得に恥じ入る私の自省に免じて、今一度の機会を何卒陛下に
お与えいただきたく、そのしるしとして、我が国で最高の匠に作らせた剣を
お贈りいたすものであります。」
恥も外聞もない文面に、ライゾは毒虫でも見るような目で
美しい長剣を眺めた。
「そして願わくは、陛下への清き初恋に、昼となく夜となく陛下との想い出を語る
我が末娘ティファレットにも、陛下の恩寵を賜れますよう
いずれ送ります使節団に先立って、申し込みの意志を明らかにいたします。」
もはや食事をやめてしまったライゾに、イェーラは手紙の結びを
早口で聞かせる。
「婚姻による絆の元で共に手を携え、北海の平和を担いたく、
陛下のよきご返答を心よりお待ち申し上げます。
ビルレストにて。陛下の義母、アツィルナ・マルクト」
イェーラとライゾはしばし顔を見合わせて絶句した。
送った金貨にも、ミヅァスートで交わした契約やベルカナへの海賊行為についても、
何も触れていない。
ただただ手のひらを返してベルカナを切り捨て、オーミに擦り寄ろうという
だけの手紙だ。
その時、扉の外からピナの声がした。
食事中のことと気を使って入室を遠慮した彼女から、イェーラが受け取った書簡は
ガラドラルの名で記されていた。
ライゾの前でそれを開いて目を通したイェーラは、ひとり納得した顔をする。
「何だ?」
聞かれてイェーラはライゾの前にそれを広げてみせる。
そこには、ベルカナが破棄したミズァスートでの協定書が破いたその形のまま
貼り付けられていた。
三者で交わした協定も、二者が破ればもう成り立たない。
呆れてものも言えなくなるようなアツィルナ・マルクトの変節は、
いっそ潔いほどに妥当なものだと、イェーラは思った。
ベルカナへの海賊行為でネツァークに生じた不利益も、女帝の手元からオースィラを
奪還し、皇子のエウリア宮を燃やした件についても、目を瞑ってやる、
協定ごとまとめてご破算にしてやると、アツィルナは言っている。
おそらく送った10万サーラの金貨は、ベルカナへの補償だのエフワズたちに殲滅された
部隊の遺族補償だのに充てられるのだろう。
ついでにこの手紙にある<申し込みの意志>が、ライゾとオースィラ、
どちらへのものか明確にしていないのも、意図的でないはずがない。
それがオーミを逃がしてやるための交換条件、兄か妹かの選択権付き
というわけだ。
二重外交でも二枚舌でも、使えるものは何でも使う。手紙と贈り物ですめば安いもの。
所詮は口先のことならば、いくら遜って頭を下げたところで痛くも痒くもありはしない。
アツィルナの声が聞こえてきそうだ。
が、その空耳にライゾは著しく気分を害したらしい。
「あ、のクソババァ!」
銀細工の長剣を飾り台ごと蹴り倒すと、それが壁に激突する派手な音が響き渡った。
音が厚い扉の外まで漏れたようで、侍従長ハルバの声がかかる。
イェーラは素早く扉の隙間から顔を出し、しばらく王を放っておくように頼む。
「己が不心得!? 何が恋だ!痩せたがどうしたいっそ死ね!とりあえず死ね!
俺たちのために頼むから死んでくれ!」
わめき散らすライゾの悪態に、イェーラは片眉を上げる。
「ここまで書ければ何やら羨ましい気にもなりますが。」
「イェーラ!おまえの左肩を一生使い物にならなくしたのはどこのどいつだ!?」
イェーラはライゾとアザト・コーヴァの適切な処置で命を取り留め、
グリームニルに戻ってひと月で職務に復帰した。
しかし左肩口から右脇に抜けた袈裟懸けの傷は左肩の神経を完全に切断しており、
彼女の左腕は二度と動かなくなった。
「オースィラもだ!未だに部屋へ引きこもったままなんだぞ!」
敵国での人質生活に神経をすり減らし、好みでもない見知らぬ男に言い寄られ、
逃亡の際には毒の粉で死にかけた、挙句、追っ手に迫られて暗闇の地下道へ
逃れた。
神殿育ちの妹には、どんなに恐ろしかっただろうか。散々な目にあった
彼女の心身が回復するには、まだしばらく時間が必要だろう。
そんなオースィラの様子や、かろうじて動くイェーラの小指と薬指を見るにつけ、
ライゾの中で怒りが煮える。
「何が北海の平和だ!虫唾が走る!とっととくたばりやがれクソババァ!」
海賊時代に戻ってしまったようなライゾを、イェーラは黙って見つめる。
心のままに逆上することも、今の彼にはかえって好ましいように思われたのだ。
抑圧された憤懣は、誰もいないところで発散させてやるに限る。
本当は政治なんてそんなものだと、彼も判っているのだから。
「言うに事欠いて陛下の義母だと!?ボケやがったのか!?
使節団なんぞ叩き帰してやる!」
銀の長剣を嫌というほど踏んだり蹴ったりしながら、それからひと頻りライゾは
室内に罵声を響かせた。
「イェーラ!」
「はい陛下」
剣の護指が外れて鞘が歪み飾り台が分解した頃、いきり立って呼びかけるライゾに、
イェーラはやんちゃを見守る母親のような微笑みを見せる。
その顔に毒気を抜かれたのか、ライゾは大きく息をつき再び椅子に腰を落とすと、
肘をついてイェーラを見上げた。
「…オースィラとエフワズの婚約式でもするか」
女帝への牽制にも、傷ついたオースィラへの慰めにも、それは一見上策に思える。
「陛下、それは」
けれどイェーラは答えに窮し目を伏せた。
ライゾは決心している。もう二度と、妹を敵の懐に置いてくるような真似はしない。
決してオースィラやソウェルを、国のために利用したりしないと。
それは分かっている。
それでも、その提案に即答できない秘密を、イェーラは抱えている。
ややあって、ライゾが不審を感じかけると、イェーラがぱっと顔を上げた。
「それは、殿下のお気持ちを、今一度、確認すべきかと」
イェーラには珍しく歯切れの悪い答え。
ライゾは引っ掛かりを感じつつも、それもそうだと頷いた。
きっと女には、男の自分には分からないような心の機微があるのかもしれないと、
自分を納得させて。

ライゾの居室に呼ばれたオースィラは、きらめく瞳に涙を浮かべて微笑んだ。
が、次の瞬間、ほんの少し不安げに、傍らのエフワズを振り返る。
答えを委ねられたエフワズは、ライゾの前にひざまずく。
「謹んで、お受けいたします。」
ライゾが視線を移すと、オースィラはこの上もなく嬉しそうに、大きく頷いた。
文字通り、言葉も出ないほどに。
「ただ陛下、その前に、ご承知おきいただきたいことがございます。」
ライゾが二人を寿ぐ前に、エフワズの瞳がきらりと揺れる。
そのエフワズが一瞬だけ視線を流した先を追うと、イェーラの苦い表情があった。
ただごとではない。
ライゾは直感する。
「陛下、ご無礼を」
言うとエフワズは部屋の扉を少し開け、召使を呼んで松明を一本、持って来させる。
それを受け取って誰も部屋に近づかせないよう指示し、扉に閂をかけた。
それから部屋の隅へ行き、何が始まるのかと見ている全員の前で、
そこに置かれた椅子の座面に足をかけ、ぐっと踏み込む。
すると椅子の下の床石が、合わせ目に沿って少し浮き上がったのだ。
「なんだそれ」
慌ててライゾたちが駆け寄る。
「一定以上の重さで浮き上がる、活塞(ピストン)の要領です。
イェーラ」
エフワズは彼女に松明を持たせて椅子を退けると、剣の鞘を浮いた床の隙間に
差し込む。床石がくるりと回って縦になった。
まさかかつては父のものだった自分の居室に、こんな仕掛けがあったとは
今の今まで想像もしていなかった。ライゾは飛びつくように覗き込む。
室内の蝋燭から松明に火を移し、エフワズが床の穴を照らした。
それでも暗すぎて、入り口しか見えない。
足元から地下深く、まるで泉下へでも続いているような石段しか。
微かな風が吹き上がる。
行きたくない。
ライゾの本能はそう言っている。
けれどエフワズは松明をもったまま躊躇なく踏み込んだ。
階段を数段下り、胸から下を闇に浸して手を差し出す。
「どうぞ。陛下のお知りになりたい全てが、この先にあります。」
行きたくない。
けれど行かないわけにはいかない。
真っ先にエフワズの手を取ったのはオースィラだった。
後に続いてライゾと、イェーラが殿について下り始める。
死神が招く闇の地下道へ。




つづきます




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預言者は語る(黄金の太陽26回目)

テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

異様な圧迫感に気圧されそうになりつつも、一段一段足元を確かめながら
下る3人の歩調に合わせて、エフワズもゆっくりと進んだ。
幅が狭く段差も不揃いな階段は、フラールとして作られたものでは
なさそうだ。
「危険はありません。」
その腰帯をすがるように掴むオースィラにエフワズが言う。
けれどライゾはオースィラのように、素直には頷けない。
どこが危険でないものか。
確かに獣や毒蛇はいないだろうが、この背筋がすくむような禍々しさは何だ。
暗い予感しかしない、不吉な道。
それを一体どこまで下りるのか。
闇の園にでも着いたかと思うほど降り続け、ようやくエフワズが止まった。
「ここからは迷路です。」
案内する彼がいなければ、生きて帰れないかもしれない。
心身を冷やすそんな思いに、自然と手を繋ぎ合わせてしまう。
一人分の幅しかない狭い通路に大きな松明はよく反射し、思ったほど
暗くもない。
それでも足元はよくは見えないし、最後尾のイェーラに至っては
壁に手を這わせながら進む状態だ。
その手に触れる壁は岩肌がむき出しで、水が染み出しているのか所々が
濡れている。
繰り返しあらわれる分かれ道。エフワズは何の道しるべもないそこを
泳ぐようによどみなく進む。
どれほど歩いたか、死の静寂を思わせる空間に4人の足音と息遣いだけが響き、
背後に伸びる底なしの闇が、ねっとりと心に絡み付いて恐怖感が
いや増してくる頃。

「ここです。」
エフワズの声が反響した。
暗さにかなり慣れてきた目でも、そこが比較的広い空間であることしか分からない。
「そのまま動かずにお待ちください。今、明かりを。」
そっとオースィラの手を離し、先に進んだエフワズが、何か大きな石臼の
ようなものに松明を近づけたと思うと、火が急激に円を描いて燃え上がった。
すると周囲の壁についているらしき大鏡が、一斉に火を反射して部屋を照らす。
夕暮れを思わせる橙色に染め上げられる空間に、4人の落とす濃い影が踊る。
火の輪が音を立てて揺らめく腰高の円柱は大人のふた抱え分もあり、
長短二重になった石柱の溝に油が入っているらしい、
うっすらとにおいと煙が燻っている。
オースィラのそばに戻ったエフワズが、その肩をしっかりと抱えた。
誰もが瞬きも忘れ、ドーム状の部屋を見渡す。
天井の一番高い部分は、人の背丈のゆうに二倍を越え、全体が滑らかな曲線で
考えられないほど完璧な半球形に削られている。
ライゾは今立っている場所から石柱の脇を抜けて奥の壁まで歩いた。
45歩。
壁の大鏡は16枚。
その間、一枚おきに黒い穴が開いている。いま自分たちが出てきたのも
そのひとつだ。
どこからか、微かに水音が聞こえている。
「ここは」
浮かされたようなライゾの呟きに、エフワズが答えた。
「ここは聖湖アトリの地下にあたります。
この石柱の真上が、戴冠式のための浮島です。
アトリは都のヴェグタム湖から水を引いて作られた人工の湖で、本来ここへの
入り口は浮島にあるのです。
山頂の仕掛けでアトリの水を排水すれば、湖底に、つまりここに天窓があらわれ、
石柱の内筒がここから天井まで昇降します。
といっても、実際に見たことはありませんが。」
「そんな、ものが」
「月神殿の居室の入り口は、先王陛下が後付けなさったものです。
あの椅子の仕掛けは、アルギスさまかそれ以上の体重をかけなかければ
開かないのです。」
どこから驚くべきかも分からないライゾが、その視線を泳がせながら、
手のひらで壁をなぞる。
「この、壁、岩肌が、光を反射して…」
そこから改めて周囲を見回し、思わず声を上げた。
「金鉱脈か…!」
イェーラとオースィラも驚いて周囲を仰ぎ見る。
光る砂をばら撒いたように、ちらちらと火を反射する金鉱脈は
帯状に天井を走り、さらに周囲の壁のあちこちにも見え隠れしていた。
「一体何層ある…?この壁も、全部」
王国第二の産出量であるマデイン金山を一気に掘りつくしてみても、
この室内に確認できる量からすれば半分にも足りないかもしれない。
岩に含む金の量が比較にならない。
この部屋の壁を数日掘っただけでも、ブルーズ川で摂れる砂金の年間産出量より
多いはずだ。
しかもここにこの規模で金鉱脈があるということは、それはアトリ四神山の
全てに広がっていると予想される。
「では、神殿は、文字通り黄金の上に建っていると…」
驚きすぎてライゾの声にはかえってなんの感情も映っていない。
一千年にわたってオーミを支える命脈アルヴァラ大金山にも匹敵するものを
発見したのだから。
「いや、人口の湖と言ったな。
ということは、わざわざ黄金の山の上に神殿を建てたのか…」

「御意に。これが、ソレイ島の黄金神殿でございます。」
淡々としたエフワズの言葉に、再び全員が目を見開いた。
「ソレイ島!?」
ライゾの背中がぞくりと撓る。
即位の前後、ライゾがそれを探して密かに調査させていたことはエフワズも
知っている。
そしてついに発見できなかったことも。
「はい、陛下。ソレイ島と聞き、島を探しては見つからないのです。」
てっきりダラテナ諸島付近の小島か何かだと思っていた。
まさか自分の足元だとは思いつきもせず。
「ソレイとは、オーミそのものを指す言葉。
ここがソレイで、これが黄金神殿。
そして稀代の予言者、ソレイの巫女姫は、陛下のお足元に。」
皆の視線が、一斉にライゾの足元に注がれる。
エフワズが松明を近づけたそこにあったのは、床一面に彫り込まれた、
膨大な量の古代文字だった。
「ソレイ、の巫女、姫、これが」
「御意。国中にその名を知らぬ者はなく、その顔を知る者はない不老不死の
予言者の、これが正体でございます。」
太陽神ユマラが初代国王ナシズに授けたと言われ、国王が即位の式次第で
初めて前王から明かされて継承する秘蹟、ソレイ島。
そして国王にしか会わない予言者。
目にした驚異はあまりに大きく、この時のライゾはそれをエフワズが案内する
不自然さに思い至らないほどだった。
「始まりはここです。」
エフワズが示した石柱の足元に、ライゾは飛びつくように屈み込む。
「現代の言葉とは母音の入れ替わりがありますが」
「…読める」
ライゾがそれを発音する。
「太初、万有の中の一なるものが、四つの力強きものと降り来て世を創り、
人を造りて立たしめたり。
一にして二なるその力は、大いなる万象に秩序づけ、」
続きをイェーラが諳んじた。
「やがて自らもその運行に加わりて、天地に三つの目を開けぬ。
オーミを築きし三つの目とは、すなわち太陽と月と地上の王なり。」
有名な天地開闢とオーミ創造の詩、オースキ。
ライゾが即位した折にも、聖歌隊は歌っていた。
「いや、イェーラ、違う。似てるが、これは数字じゃない?」
エフワズが火の輪の足元、石柱自体に刻まれた文字の一部を指し示す。
「ここにいくつか同じものが刻まれています。
象形文字の一種かと。
一は創造、二は破壊。四つの力強きものは、風水火土。
三つの目ではなく、第三の目。
オーミを築きし、という最後の一文は後の誰かの創作でしょう。
ここには書かれていない。」
「第三の目は?」
ライゾの声が熱を帯びる。
「時間です。過去、現在、未来の三つを紡ぎ、縦に繋ぐ軸です。」
ライゾはぞくぞくするような興奮と、指先が震えるおののきを感じながら
続きに目を走らせ、一文字ずつ丁寧に読んだ。
「第三の目は、繰り返すことこそ慣いなり。
ゆえにかつて世界はみたび滅びぬ。
第一の世界は火に覆われ、その灰の中より第二の世界は生まれたり。
第二の世界は土に埋もれ、新たな地の上に第三の世界は造られたり。
第三の世界は水に沈み、残せし丘を第四の世界として我らは住めり。
第四の世界はいずれ風の中に滅ぶだろう。
やがて来るべき第五の世界のために。」
なぜこんなに、動揺してしまうのか。
勝手にわななく右手を左手で掴んで止めようとしてみたが、震えは左手にも
伝わり、やがて全身に広がって、やむなくライゾは一旦
顔を上げる。
刻まれた古代文字が不思議な力を放ち、心より先に身体が勝手に反応したように、
ライゾは感じた。
圧搾された神秘は、見るものを威圧し畏怖を与える。
峻厳にして神聖、なのにどこか恐怖に近い暗さをもち、自らの意志で強大な力を
この地底に封じている。
そんな風にも見える何かが、文字の一つ一つ、あるいは行間から立ちのぼるのだ。

「第四の世界、中でもオーミと陛下に関する記述はここです。」
そこから少し離れた場所をエフワズが松明で示す。
が、心身を取り巻く脅威にあてられたのか、ライゾの膝が言うことをきかない。
代わりにイェーラがそこへ屈み込んだ。
動かない左手を右手で捌き、指先で文字をたどる。
「八十四番目の王は、黄金の太陽を抱き、子を成せぬ者である…」
無造作に語られる衝撃に、イェーラは息をのんだ。
確かにライゾの紋章は即位以来、<黄金の太陽>になっているが、
子を成せぬ、とは?
戸惑いながら読み進める。
「この者、神殿の内にて育てば十三までに死病を罹し、外にて育てば十七に自刎する。
王朝は終焉を迎え、終焉は三つの鍵の主を呼び、やがて新たな門が開かれる。」
地底に響いたイェーラの声の僅かな反響が消えると、
沈黙が辺りを満たす。
最後の一文はよく分からないが、とりもなおさずライゾの死は予言された。
それも遠くない未来、王朝の終焉とともに。
「…イェーラ、83番目の王のことは、書かれているか」
呟くライゾの言葉にあわせ、エフワズがずらした松明にそって視線を移す。
「八十三番目の王は、極めて優れよく衆を治む。しかし自ら受け入れ世に送り出したる
罪により、志半ばにして果てるだろう。」
「…罪? 父に何の罪が」
エフワズが再び松明をずらす。
促され、一瞬目線を上げたイェーラは、それでも諦めたように読み上げた。
「八十二番目の王は、姿麗しき罪の母である。次代の王への愛によって穢れをまとい、
失意のうちに夭折する。」
ライゾは更に混迷を深める。
父の罪。
自ら受け入れ、世に送り出した罪。
八十二番目の王の罪。
次代の王への愛。穢れ。
八十二番目、名はヘルヴェイラ。
父の姉。その愛。穢れ。次代の王に向けられた。
次代の王、アルギス。ヘルヴェイラの弟。
彼が受け入れ、送り出した罪とは。
思考が、まとまらない。
何度も反芻し、散らばった言葉をバズルのように組み立ててみる。
82代と83代。姉と弟。
姉がまとった愛と穢れ。弟が受け入れた罪。
ライゾは首を捩じるようにして、三人に顔を向けた。
視界を覆う松明の火。
それを持ってこちらを見つめる地底の島の案内人。代々の王しか知らないはずの。
心に渦巻く全ての情報が一点に、エフワズに向かって収束されていく。
それでも、ライゾの喉からかすれた声がこぼれるまで、
かなりの時間を要した。
「エフ、ワズ、なら、おまえは」
「はい、陛下。
私はヘルヴェイラ女王とアルギス王の間に生まれた、陛下の異母兄です。」

ライゾの定まらない視線が床に落ち、やがてイェーラとオースィラに
何らかの反応を求めて狼狽した表情を向ける。
が、二人は苦い眼差しを返すばかりだ。
「知ってた、のか。二人とも、知ってて、…なんで」
信じがたい事実を、それでも呑み込もうとうなだれるライゾに、
エフワズは松明をイェーラの手に預け、静かに話し始めた。
「陛下、私の髪は、以前はあなたと同じ金色でした。
この眼も、かつてはあなたと同じ、青い海の色をしていました。」
微かに息をついてエフワズは穏やかに言う。
「私は10年、ここで暮らしていたのです。」
その言葉に、全員が瞠目せずにいられない。
「私と、母ヘルヴェイラ女王のヤヴンハール・ブラーインと、二人でここに。
…イェーラ、以前おまえにした話を覚えているか。」
イェーラはがくがくと頷いた。
忘れようもない。
その手で義弟フェフを処刑した日、倒れたライゾの枕辺で、エフワズに
聞かされた話。
「ヘルヴェイラ女王は19で私を産んだ。
陛下、あなたが生まれる12年前、アルギス王が17のときです。
今はアサ王太后がお住まいの、花の谷の離れで。
少し大きくなると、双神殿がある森の番小屋で暮らし、ブラーインを父と信じて、
滅多に母に会えないのは、二人が身分違いの結ばれない恋人同士だからと
一人合点していた。」
その唇に浮かぶ、自嘲的な、そして懐かしげな薄い笑み。
「その母が病死した後、私を殺す勇気も野放しにする覚悟も持てなかった父は、
私と、ただ一人真実を知るブラーインを、ここへ幽閉しました。
私はその真実を、ここで目覚めた朝、初めてブラーインから聞かされたのです。
私たちは、生きながら埋葬されたと知った。
そしてあの月神殿の居室の入り口から、定期的に食料や日用品が差し入れられ
階段の上に置かれるようになりました。
合図の笛が鳴ると、私は迷路を抜けてそれを取りに行ったのです。
けれど、石柱の油は絶えず滲み出し火が消えることはないし、地下の気温は一定で、
慣れれば快適と、言えなくもない。
壁に穴が見えるでしょう。
あれは通路ではありません。」
エフワズはそれらをひとつずつ指差す。
不規則に揺らめく炎の光に合わせて、伸びた腕の影が蛇のようにのたうった。
「あの穴の奥には、アトリの水が流れています。
小さな滝の水が山頂からここを通り、川まで流れる。雨の日は激しく、
日照りが続けば緩やかに。
その水を飲み、その下で身体を洗い、排泄し、向こうの穴で眠った。
そちらの穴は勉強部屋、こちらは倉庫でした。
私の巻き添えになってここへ入れられたブラーインは、私に勉学を教え、
可能な限りの武技を教え、持てる限りの忠誠と怒りを、私に注いだ。
愛と狂気が交互に彼にとり憑いて、彼は私を励ましたり殴ったり、
慰めたり犯したりした。
<決して見捨てない><おまえさえいなければ>
<いつかきっと出られるから><もう死んでくれ>と。
私も彼と同じ。時々、体の底にある鉛の塊が私を苦しめ、暴れさせた。
けれどブラーインは私と違って、いくら殴りつけても抵抗しなかった。
まるでそうされることを望んでいるように。
そうして二人、支えあい、憎みあい、寄り添って生きた10年でした。」

オースィラの頬が青ざめ、イェーラの瞳が震える。
ライゾはただまっすぐに、エフワズを見ていた。
「昼夜、季節など時間の感覚は消えうせて、鏡に映る自分の姿だけが
時間の流れを知る方法で。
私は予言を読み、そこに刻まれた秘密の暗号を解読しました。
運命から逃れる方法が、一代ごとに書かれている。
そしてある日、私はブラーインが隠した紙片を見つけたのです。
<王子が生まれた>とだけ書かれた小さな古い紙は、彼の筆跡ではなく、
おそらく食料の籠にでも忍ばせてあったものでしょう。
それを毎日毎日こっそり眺め、ある日、私は習った武技でブラーインを
殺しました。
いつもどおり、無抵抗だった彼を。
そして私に礼を言いながら死んだ彼の首を、岩を削って作った小刀で
丸一日かけて切り落としました。
それから石柱の火を消し、生首を持って、庭も同然の迷路を抜け、
階段の下で、居室の入り口が開くのを待ったのです。
ブラーインの首と予言の秘密を父に突きつけ、引き換えにここを出るために。」
淡々と語られる凄絶な物語に、3人は瞬きも忘れて聞き入った。
「外に出て、初めて気づいた。
自分の髪が色を失っていることに。
地底の影に濁った瞳も、低下していた視力がある程度回復した後にも
元の色には戻らなかった。」
一瞬も目をそらさないライゾに、エフワズは言う。
「ブラーインにあなたの誕生を知らせた父の意図は知りません。
私を殺せば出してやるという意味か、二人に自決を促したものか、
或いはただよほど嬉しかっただけなのか。
いずれにせよブラーインは私を殺せない。できるものなら幽閉される前に
やっていたでしょうから。
ご存知でしたか陛下。私はあなたを愛していました。
ブラーインが何を思って紙片を隠したかも知りません。
けれど私はあなたを愛した。
その存在を知った瞬間から、まだ見ぬ弟を。
そのヤヴンハールにしてくれと言ったのは、父が考えたような復讐心からでは
なかった。断じてなかった。
あなたが、幸福な美しい存在が私を受け入れてくれたなら、
私は人に戻れると思ったのです。
けれどそこにあなたはいなかった。
いたのは、オースィラ様でした。」
エフワズはライゾの前に膝を落とし、祈るようにその双眸を覗き込む。
「愛する以外、私に何ができたでしょう。
墓から這い出して見つけた光。離れて生きてゆけるほど、
私は強くはありません。」

ライゾは、初めてエフワズの目を見た気がした。
その瞳を凍らせたもの、心を歪めたもの、理不尽に押し付けられた罪の汚泥。
生きた人間を死神へ墜とした絶望を。
この兄が、たったひとりで彷徨ってきた闇の深さを。
愛し、裏切られ、虐げられて、嘆きの果てに身につけた氷の仮面。
見放し、捨てたのは自分なのだと嘯いて、いっそ死神になりきろうとした。
彼がまとった冷たさは、瞳に宿る暗闇は、この地下室のものであり、
心に焼きついた愛憎は、この石柱に燃える火そのものだったと。
そしてその向こうにある魂を、ライゾは知った。
底なしの淵からなお天を見上げ、奈落の底を這いずりながら、それでも人に焦がれ
人を愛した、奇跡のように美しい魂。
その姿に最初に気づいて受け入れ、無条件に応えてくれた少女。
彼女以外は愛せぬほどに、彼の傷は深いのだと、ライゾは知った。
そして、ああ、父の罪業はかくも呪わしい。
気づけばライゾは両手を伸ばし、銀の髪に顔をうずめて、
兄をかき抱いていた。



つづきます




8章 予言者は語る |トラックバック(0) |コメント(0)

プロフィール

シカピ

Author:シカピ
数年前、とある美声にひと耳惚れし、
そのまま声フェチに、そして
ヤンデレに行き着きました。
同じ道を通った人、いますか?

真冬以外は年中花粉症です。

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