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夢の奥津城(黄金の太陽38回目)

テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

嵐の夜から20日目。
国中の町の各広場で、死者の日の準備が進められていた。
王都グリームニルでも、過去一年のうちに死者のあった家々は
目印の花輪を玄関にかけ、墓地には大きな篝火がたかれる。
香炉を持ってそれらを回り練り歩く巫女と神官のため、道筋に沿って
今年は特に念入りな清掃と、色とりどりの花をふんだんに使った飾り付けが
行われた。
大通りでは商人たちが競って賑やかな市を立て、死者に捧げる花や果物、
虹色の織物を並べて人々はさざめく。
混雑した通りに神殿から衛兵が派遣されるほど、今年のグリームニルは
大変な人出だった。
というのも、神殿からの布告を受け、地方から都に上って死者の日を迎えようと
した人々が急激に増えたからだ。
春祭の日、ソウェル王の公式即位声明と共に出された布告の曰く、
<先代国王ライゾの魔手を逃れ、邪な専横者たちを一掃した年若い新王と
その妃があまねく人々の前に姿を現す。その威光に浴したる者は
日の宮までもユマラの守護を得るだろう。>
有難いお披露目をひと目見ようと多くの民が都へ向かい、海賊たちは五人の
領主の名の元に南大門へ集められ、手薄になった南小門と、西門ブーイの
港からエルストラの手引きでベルカナ艦隊が上陸する手筈だった。
西門から上陸したベルカナ本隊はスミズ湾からスプラツキ川へ入って東進し、
オーミの交易の中心地フリョーズまで出たところで
軍勢の一部がそこを占拠する。
残りの部隊はそのままスプラツキ川からスヴァンニ河を南下して王都へ向かう。
南小門からの分隊はスノート川を北上し、スヴァンニ河へ入って、
川幅の最も狭い部分であるイォーズ街道の中継点を確保する。
そして街道から本隊が王都に侵入、多くの民と行政官が集まったグリームニルを
一網打尽に押えたところで分隊が都入りし、内側からイォーズとランドールの
両街道を封鎖する。
それで王都は孤立し、海賊たちは容易に動けず、グリームニルは陥落するだろう。
その上でベルカナ陸軍とオーミ海賊を手駒に、グリームニルを根城として
そこから世界へ支配を広げてゆく。
そうしていつか世界をひとつの国に。
それが世界王の騎士としてペルスが構築した夢幻の始まりだったのだ。

エルストラはライゾとの最後の面会の後、かつてブーイの花御殿から
その庇護下に昇殿(神殿に就職)させた元恋人2人と接触し、密かに
味方につけることに成功する。
彼らを使って双神殿の衛兵やソウェル王の近衛隊、女官、侍従、奴隷など
身分、老若男女は問わず、ライゾ王に忠誠を尽くす者を探した。
エルストラと関わってもペルスに怪しまれない立場にいて、口を割る恐れがなく、
命も差し出す忠義の持ち主。
けれど数を頼んでは事が露見する可能性が大きくなる。本当に信頼が置け、
彼女の手足となって働く能力がある者。
彼らが見つけ出した、条件に適う者は8人だった。
いずれもライゾ王を身近に見てきた身分の低い兵士や奴隷たち。しかし
彼らこそが、エルストラに必要な全てをもたらしてくれた。
ライゾが探してほしいと言った太陽殿の地下の鍵。
そしてそこから繋がってアルヴァラ大金山で発見した第二の鍵。
エフワズの居所。スヴェインとの連絡。
ベルダンディと名乗って港の警備をすり抜け、ライゾの危機に尽力すべく
参じたアザト・コーヴァを匿い、海賊団への伝令を行ったのも
彼らだった。
そうしてエルストラが王都に広げた網は、ライゾ王の確かな軌跡を物語り、
ペルスの夢見た狂信の野望が、砂漠の蜃気楼に過ぎないことを
彼女に確信させた。
<我が王を死者の日の朝お迎えに上がる>
干し肉に挟んだ密書をライゾが受け取ったのは、死者の日を3日後に控えた
黄昏時だった。

しかしその深夜、事態が急転する。
銀色の月が天頂にかかる頃、剣を持った衛兵が2人、塔の牢獄の鉄扉を
開いた。
目の部分をくり抜いただけの凹凸をつけてない鉄仮面は、まぎれもなく処刑人の
それだ。
「新王陛下よりご下命を頂戴しました。」
衛兵の固い声。重苦しく、つとめて感情を押し潰した。
ライゾは姿勢を正す。
「ここで、処刑しろと?」
「夜明けに、御首級を太陽殿に持参せねばなりません。」




つづきます。



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夢の奥津城(黄金の太陽39回目)

テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

きたか。
予想はしていた。
立会人の一人もなく、早々に葬ってしまえば、後は病死とでも何とでも言える。
ライゾは静かに目を伏せた。
目の前の鉄扉ひとつなら、剣を奪い二人を倒し、枷を外して突破できたとしても、
単身で双神殿内の全衛兵をかいくぐる事はできない。
エルストラも間に合わなかったのなら、これまでか。

その時、向かって左に立つ兵士が抑揚のない声で言った。
「なぜ、笑うのですか」
言われて初めてライゾは気づいた。わななく手足と、笑みの形に歪んだ自分の
頬に。
「…ああ、そう、か…。きっと、嬉しいんだ。」
あの嵐の夜、エルストラが見透かしていたように。
「…イェーラに、会えるから。エルストラはもう、鍵を見つけた。
俺が、ここで死んでも、きっと、大丈夫だ。そしたら俺は、予言を破り
イェーラたちに、会える。」
「言い残すことは、それだけですか」
右側の兵士は少し感情的な声色だった。
ライゾは目を上げ、彼の顔を見た。仮面の中から滴る雫が、汗か涙かは
判らなかった。
「…嫌な仕事をさせて、すまない。誰も幸せに出来なくて、すまない。
あの日の誓いを、守れなくて…、おまえたちを、こんな場所へ連れて来て…
本当に悪かった。」
言葉を失った兵士たちに、ライゾは座ったまま頭を垂れた。
二人が同時に剣を抜く。

が、次の瞬間、右側の兵士がいきなり目を剥いた。
その唇が魚のようにぱくつく。何が起きたのか彼自身も知らぬまま、落ちた
視線の先に、自分の胸を突き破って出てくる切っ先が見える。
声も出せず、振り返ることもできない手が虚しく空を掻く間も、剣は無理やりに
肺を通過してゆく。
間もなく体が力を失って崩れ落ちると、左にいた兵士が剣を引き抜いた。
仮面を外した若い兵士は、床に倒れた同僚の腰から鍵束を掴み取る。
「逃げてください」
両手の鎖が外され音を立てて床に落ちると、急激に体が軽くなった気がした。

「おまえ、は」
「ノーアトゥーンです。お忘れですか」
思い出せないというより、全く覚えがない。
察した兵士は手早く遺体から衛兵の服を脱がせつつ言った。
「陛下に命を救われた者です。
4年前、船奴隷として囚われていたベルカナ船が沈んだ時、岸辺を目前に
沈みかけていた者たちを、イェーラ様と二人で何人も引き上げておいででした。」
言われて初めてライゾは思い出した。
懐かしい日。あの13歳の春。ソレイの巫女の予言により5歳で海に出された
ライゾが、晴れて神殿に帰参を許され港へ帰る途中、ベルカナの海賊船に
襲われたのだ。
仲間を見捨てられずに、イェーラの反対を押し切って敵船に乗り込み、
船底から奴隷の漕ぎ手たちを解放したのはよかったが、結局は自分たちの
船も沈んでしまい、どうにか岸まで泳ぎ着いた。
「あの、時の」
渡された衛兵の隊服を素早く着用しながら、ライゾは彼の顔を見直した。
が、やはり顔は思い出せない。
オーミ人かどうかに関わりなく、手の届く限りの者たちを救おうとしていた2人なら
ずっと信じていられると感じたと、彼は言った。

「ではこれはエルストラの」
答えながらノーアトゥーンは自分の腰に下げていた革袋の中身を手に取る。
「このことはまだエルストラ様はご存知ではありません。」
ということは彼女の配下には違いないが、ここは彼の緊急の判断ということか。
「陛下、失礼します」
革袋の中身は煤のようで、彼はそれをライゾの髪にまぶし、顔にも塗りつける。
「この塔を最下層まで降りた道具部屋の隅に抜け穴を作りました。
未完成ですが、なんとか出られます。」
そして目立つ金髪を黒く汚した上から、処刑人の黒い頭巾をかぶせる。
「見張りは」
「アルギス王の息子たる元国王の斬首ですよ。ユマラを畏れぬ所業です。
私たちが出て行くまで、当分は誰も本殿から出てきません。」
ノーアトゥーンはさっき遺体から抜いた剣の、血糊を服で拭ってライゾに
渡した。
「行ってください、お早く」

エルストラが動くのは死者の日の夜明け。事が早すぎれば朝から始まる広場の
儀式は中止され、遅すぎればオーミは一巻の終わりだ。
死神たちの祝宴が、何が起ころうと催行するしかなくなったぎりぎりの時間を
狙って計画は定められているだろう。
それまであと二日。生き延びなければ。
「ありがとう、ノーアトゥーン。行こう」
けれど鉄扉に向かうライゾに付いてこないノーアトゥーンに、ライゾはぎくりと
立ち止まる。
残って時間を稼ごうというのか。
けれど、それでは彼が殺されるだろう。
その覚悟を悟ってライゾは彼の元へ駆け戻り、勢い強く抱擁した。
「おまえを覚えていない。なのに命がけで助けてくれる、おまえを殺させたくない。
だから、許してくれ」
そして床の手枷を拾い上げると、彼の手首にそれをはめ、彼に向かって
剣を構えた。
傷が浅すぎては怪しまれるだろう。けれど、失血死するほど深くても駄目だ。
「ノーアトゥーン、後ろを向いてくれ。」
目の前を閃く剣に反射的に彼の体がぶれてしまっては目測を誤ることになる。
黙ってうなずき、ノーアトゥーンはライゾに背中を向けた。
「俺を信じてくれてありがとう、ノーアトゥーン。感謝する、心から。」
疑いも苦しみも、しなかったはずがない。
二人の王と信仰に挟まれ、同僚を手にかける究極の選択を迫られれば、
悩まない者はないだろう。
その懊悩の末に、それでも自分を信じてくれた。
「無事でいてくれ」
「陛下こそ。」

ソウェルの登極の式典が完了するころまでは生かされるだろうとの
予想を覆し、早々に出された暗殺指令。
日が昇れば追手もかかる。
これがエルストラも知らない事態であるからには、彼女は予定通り
死者の日の朝にここへ来るかもしれない。
ライゾの逃亡が知らされた時点で、それ以外に合流の方法がないからだ。
2日間、逃げ切って再びここへ戻ってくる。
抜け穴から地上へ這い出せば、双神殿に監禁されてほぼ3ヶ月ぶりの外気。
その真夜中。目を眇めて見上げれば、風にそよぐ木の葉が月光を受けて
銀色に光っている。
満月まであと二日。いっそこの樹の下で、永劫の眠りについてしまいたいような
衝動をこらえ、ライゾは森の柔らかな夜気の中、アトリの山の方へと駆け出した。

ライゾ暗殺指令、そして脱走の報を受け、エルストラは座っていた椅子を
蹴り壊した。
ノーアトゥーンはライゾを逃がした咎でそのまま地下牢に囚われた。
けれどエルストラはまだ彼を救い出しに行くわけにも、ライゾに向けられた
ペルスの追手を阻むこともできない。
追手の中に息がかりの元近衛隊士をひとり、混ぜ込むのが精一杯だった。
ここまできたら、もうあとはライゾを信じて祈るのみだ。
これまで表では世界王の騎士として働き、裏ではなれない水面下の工作に
一時も休むことなく奔走し続けたエルストラが、すべての用意を終えて
ようやくまともに眠った、死者の日前日。
それでも、疲れきって横たわった寝台の中でさえ、彼女の心には冷たい寂寥感が
降り積もる。

ライゾが捕らわれたという知らせはなく、死体が見つかったとも聞いていない。
なら彼は生きている。そして明日の朝、必ずもう一度、双神殿に現れる。
そう信じている。
なのに不安が拭えない。嵐の夜以来、胸に抱えた言い知れぬ不安。
あの夜と同じ冷えた風が今も体の中を吹き荒れ、あの時の玲瓏としたライゾの
瞳を思うたび、哀憐ばかりが音もなく、染み入るように胸を浸す。
必ずうまくいくはずだと己を鼓舞しながらも、胸苦しさに寝返りを繰り返し
静寂のとめどない切なさに、なぜか心が独りでに啾々とむせび泣いた夜。
夜明けはあまりに早すぎた。




つづきます。




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夢の奥津城(黄金の太陽40回目)

テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

そして迎えた運命の朝は、13歳のライゾが神殿に帰還した日と同じ、
空澄み渡る麗らかな春だった。
この2日、ライゾはアトリ山中の閉鎖された隠し通路である洞窟を
転々と移動しながら追っ手をかわし続けた。
追っ手は常に3人組みだったので、勝つことより出くわさないことが
最も重要だった。
しかし海での生き残りには長けていても、勝手の違う山や森では
追っ手を避けながらの日中の食糧探しは不可能だったので、
夜中のうちに森の番小屋やヤルル肝いりの薬草園から盗めるものを
盗んでしのいだ。

そしてその未明。
空が薄紫に明けて行く中、ライゾは双神殿への一本道から続く神殿前の
処刑場で、すぐ側の樹に登って時を待った。
やがて8騎の馬影が土を蹴立ててやってくるまで。
祈るような気持ちで見つめていた一本道。
蹄鉄の響きが地面から立ちのぼるのを、泣きたい気持ちで彼は聞いた。
勇壮な姿で馬を駆る、先頭はもちろんエルストラだ。
後に続くのは、スヴェイン、エフワズ、そしてアザト・コーヴァだった。
スヴェイン。エフワズ。アザト・コーヴァ。
「生きて…、よく…!」
思わず言葉がもれ、息も止まりそうな歓喜と感謝に目が潤む。

彼らは武装し、それぞれが一頭ずつ鞍を乗せた空馬を引いている。
当然のライゾもそこへ参加すべく樹を下りようとした瞬間、
何かが光った、と思う間もなく、手を掛けていた樹の幹に投擲用の
短剣が刺さった。
来るな。
そういうメッセージだと、瞬時にライゾは感じた。
その隙に、8騎はまたたく間に処刑場をすり抜ける。
が、最後尾のコーヴァが、小ぶりな革袋を刑場の端に落とした。
おそらくわざとだろう。拾えということか。
ライゾはすぐには樹を下りず、とりあえず本殿の門が見える位置まで
高い枝へ登った。

門前に到着した8騎は、堂々と馬を並べ、空馬の手綱どうしを結び合わせる。
門前の番兵たちは、彼らを大いに気にしながらも、誰も動かない。
外壁の周囲に等間隔で配置された兵たちもだ。
状況への対処を指示する者がいないのかとライゾは思ったが、そうではないようだ。
門を少しだけ開けて、中から指揮官らしい一人が、エルストラの方へ近づいていく。
どうやら彼女以外の顔を、誰も知らないらしい。
「エルストラ様、これは」
馬上のエルストラが音を立てて剣を抜く。同時に残りの3人もそれぞれに得物を
構えると、ようやく状況を理解したらしき兵士が声を上げた。
「総員!戦闘配置!」
叫んだ指揮官が最初の犠牲者となった。
嘶く馬の手綱を引き、エルストラは馬の前脚で門を蹴り開ける。
「どけどけ醜男ども!どかねぇとぶっ殺すぞ!」
集まった兵たちに戦闘隊形を形作る余裕はなく、指揮する者のない隊は
烏合の衆も同然であり、それは戦闘というより一方的な殺戮に見えた。
兵たちの足音、ぶつかる金属音、怒号や悲鳴が入り混じり戦場となった
双神殿。そこにペルスが用意していた兵員約300を相手に、4騎の精鋭は
その戦いぶり凄まじく、瞬く間に船上は本殿の中へと移りはじめている。
中でもライゾが初めて、その本気の剣技を見たエフワズとアザト・コーヴァ。
冷徹で理性的、完璧で容赦なく、一分の隙もない美しさ。
後ろ姿の太刀筋にも充分に見て取れる凄まじい戦闘力と演舞のようなしなやかさ。
ともすれば力で押し切ろうとする海賊の剣とはまったく違った呼吸を見せる、
黒と銀、二頭の獣にライゾは見惚れ憧れて、己の未熟さに恥じ入るほどの完成度
だった。
思えば搖神殿では幾度も手合わせしたエフワズ。
思っていたよりもずっと手加減されていたということがよくわかった。
けれど、先ほど刑場で見送ったエフワズの、何も見えていないような表情が
ライゾの熱を冷ます。
オースィラを失った彼の、察してあまるその絶望。
ライゾの存在がなければ、もう生きてはいなかっただろう固い背中が
哀れだった。

間もなく4人の姿が完全に本殿の中へ入って見えなくなると、ライゾは樹を下り、
コーヴァが落として行った革袋を拾い上げる。
中には茹でたピナ芋と焼いた鳥肉、果物と小さな塩の袋が入っていた。
待っている間に腹ごしらえをしておけということか。
よく見るとピナ芋にめり込ませた指輪がひとつ。即位以来使っていた印章の
指輪だ。黄金の太陽。大王ナシズの紋章にして、ライゾの紋章。
更に下に小さな走り書きが添えられている。
<あんたの印章を返す。禿鷲野郎が持ってた。>
それを再び指に収めると、不思議な感慨が胸に沸く。
せねばならない、と思っていた。王として、国と民への責務を果たそうと。
けれど気づいた。王であることそのものが、今の自分にとっての生きがいでも
あったのだと。
王として生きたい。もう一度人々に、王としての自分を受け入れてもらいたい。
ライゾは樹上に戻り、二日ぶりのまともな食物を口にした。
飢えていた体に染み渡るそれが、王でありたいと思う彼の気力を支え上げ
視線を彼方に据えさせる。

ふと、足元を逃げてゆく一人の兵士。
普通なら逃がしても構わないが、ペルスのもとへ知らせに行かれては困る。
ライゾは樹を下りようとした。刹那
「陛下!」
いきなり背中に強い衝撃を受け、座っていた枝から落下する。
まるで何かに突き落とされたように。
咄嗟に頭をかばって無意識に身体をひねり、頭を打つことはまぬがれたが
直後、ライゾは一瞬前ま立っていた樹が、根こそぎ倒れてくるのを見た。
というより、樹が大きく傾くのと落下するのがほぼ同時だったのだろう。
間に合わない。
だめだ。
思わず身体を丸めて頭を抱える。
が、続いた叫び声は自分が発したものではなかった。
背中をかすめるぎりぎりの位置に倒れた幹が押しつぶしたのは、逃げ去る
兵士に気を取られ、ライゾが気づいていなかったもうひとりの兵士。
その手に握られた剣が、ライゾに届く寸前のことだった。

「ライゾ様!」
ゆっくりと身を起こすと、駆け寄ってくるイングスの姿が見えた。
「ご無事ですか!?」
その毛深く太い手に抱え起こされ、知らず涙が頬を流れた。
その身は牢獄に汚れていても、眼光と逞しい体躯はいささかも衰えを知らず、
熊と見紛う頬髯も、底抜けに明るい表情も、ただ一点、右頬を縦に走った
傷跡のほかは、何も変わらない海の英雄。
「イングス、無事で」
「はい」
「イングス、イングス、」
昔と変わらず存在ごと抱き取ってくれる、海の香り。
「今、イェーラの、声がしたんだ、イングス、
陛下と、呼ぶ声が」
その腕にかきつき、堰切ったように声を上げて、ライゾは泣いた。
「イェーラだった!
あれは、イェーラの声だった!」
イングスはライゾを頭を抱きしめ、背中をさすりながら答える。
「もちろんですとも。あの子はいつも、どんなときでも
陛下のお側にいるはずです。」

いつの間にか神殿内の戦闘はおさまり、イングスの後ろに懐かしい顔たちが
揃っている。
エルストラ、エフワズ、スヴェイン、コーヴァ、北のロガフィエル、西のウルズ
そしてノーアトゥーン。
「皆、よく無事で…、コーヴァも、来てくれて、本当に」
「彼女のお陰で、私は陛下の義兄弟ですよ。」
大粒の黒い瞳を片方瞑って、コーヴァは笑った。
あのネツァークの鳥籠で、この黒豹のようなコーヴァを見たら
エルストラは何と言うだろうかと想像した。その答えを聞いた気がして、
ライゾも微笑む。
「スヴェインも、無事に逃げたと聞いていたが」
「はい、陛下」
武人らしい短い答えと、当然のようにそこに立つ誠心。ライゾはまた
泣きそうになった。
「ノーアトゥーン、傷は…」
それには本人よりエルストラが先に口を開いた。
「これぐらい平気さ。なんせこいつは父親なんだから。だろ?」
言いながら片手で彼の頭を軽く引き寄せ、髪に口づける。
ノーアトゥーンはキスを返し、ライゾに頷く。
「はい。エルストラさまは、私の娘の母親なんです。」
驚きを隠せないライゾに、エルストラは笑った。
「そんなに目を真ん丸くしなくてもいいだろ?あたしだって女の端くれなんだよ。
それに知ってるだろ?あたしは可愛い子のおねだりにはヨワいからね。」
「ずっと、家族がほしかったから。」
彼女が花御殿の少年たちに、仕事や住まい、時には花嫁を世話したり
昇殿の口添えなどをしていたのは知っていたが、まさかそんなことまで
という気もする反面、どこか彼女らしい気もした。
「その子は、今、どこに」
「マデインの谷に住む金細工師のところへ預けてる。
あたしは母親にはなれないが、こいつはここが終わったら、そこで娘と
暮らすんだって言ってるよ。」

「エルストラ」
抑揚のない金属的な声。
いつもと同じ、エフワズの声。
「ああ、はいはい分かってるよ。」
以前よりももっと白い、血の気のない顔。
毒にやられ、脱走し、オースィラを失い、ここにいる。
どう声を掛ければいいのか、わからない。
ライゾは、必死に声を絞った。
「…兄、上…、」
瞬間、全員が目を見開いて顔を見合わせる。
ライゾはその顔たちに頷いた。
「そうだ。エフワズは、俺の、今はもうたった一人の肉親なんだ…」
しばしあって、エルストラがライゾの頭を撫でる。
「そうかい。なら絶対に生き残らないとな。
そろそろグリームニルの広場に、人が集まり始めるよ。」




つづきます。




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プロフィール

シカピ

Author:シカピ
数年前、とある美声にひと耳惚れし、
そのまま声フェチに、そして
ヤンデレに行き着きました。
同じ道を通った人、いますか?

真冬以外は年中花粉症です。

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