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国王の値段(黄金の太陽14回目)

テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

女帝は一瞬息を止めた。
いや、忘れたのだ。目の前の美しい存在感に。
ライゾは内心で不敵に笑う。それでこそ慌てて衣装箱を
引っ掻き回し、装った甲斐があるというものだ。
今ばかりはエルストラに感謝したい。
彼女が好んで着せた色と似た色の衣装を見つけ、裾を裂いて着方を変え、
オーミ風にまとった。
丁寧に梳いた髪はエルストラの好むように結わえず肩に散らし、
造作の芸術性を相殺する宝石や金飾りなど、黄金の髪と碧玉の瞳には
無用の長物だと言われたことを信じることにした。
そうして表情を消し、相手をじっと見つめ、不意に柔らかく微笑む。
違う、やり直し、違う、もっとこう、花が開くように笑え、と言っては
何度も練習させられたそれを、まさかこんな場所で使うことになるとは。
力を入れずに背筋を伸ばせだの、唇を引き結ぶなだの、
目を見てゆっくり瞬きしろだの、何の役に立つのかと辟易すると、
彼女は言ったのだ。
<あんたの顔は期限付きの財産で武器だ。その気になりゃ城だって
落とせるぞ。だいたいが城門と城主の奥方の脚はつながっていてな、
奥方が脚を開けば城門も内から開くものさ。
だから死に損ないのババァでも闇の園から這い上がってきたくなる
ホホエミを習得して見せなよ。>
あの時のエルストラはただ自分が楽しんでいただけ。それは確かだ。
けれど彼女自身も意図しないまま、教えてくれた。
剣がないときの戦い方を。
「オーミ84代国王、ライゾ・ロヴァルギス・ミュゼファンです。
皇帝陛下。」
ライゾは物静かな口調に滑らかなネツァーク語で名乗る。
「…ネツァーク皇帝アツィルナ・マルクトです。国王陛下」
女帝の返答は明らかにワンテンポ遅れた。
まるで透き通った磁器人形が話したようで、不覚にも胸が騒ぐ。
生き人形のように美しいが、鍛えた体躯は衣服の上からもよく分かる。
何よりこの煌くような躍動感にあふれた瞳は、人を惹きつけずには
おかないだろう。
「ま、あ、噂以上にお美しくていらっしゃいますね。
これならば民草が神と呼んで崇めようと天が怒ることもありますまい。」
その女帝の様子にライゾはふいっと顔をそらし、上げた視線を宙に据えた。
「女衒のような目をなさる。皇帝と名乗られたのは
私の聞き違いでしょうか。」
エルストラ曰く<そういう生意気さは大抵の女が嫌いじゃない>らしい。
案の定、初めて自動人形を見た子供のような驚きが、女帝の目に
浮かんで消える。
「まぁ。これほど華のある、凛々しくも神々しい方を前にしては
どんな女も立場など忘れてしまいます。」
軽やかな笑い声に、ライゾは少し媚びすぎたかと、心密かに舌打ちを
もらした。
「いつもそのような言葉で観賞用の奴隷をお買い上げですか?」
もう一度、女帝は軽い声で明るく笑った。
ずっと想像していた。ライゾ王とはどんな人物か。
初陣の海戦を鮮やかに勝利した王。バラゴを討ち取った少年。
敗残の兵をまとめて船ごと燃やしたライゾとは。
今のライゾはそんな風には見えない。
一見すれば、英才教育の教本をなぞる才能豊かな良家の子息。
アザト・コーヴァの報告では、武人の身のこなしで海賊のようだと聞いた。
かなりの二面性の持ち主らしい。
その両面を繋ぐのがこの眼なのだろう。
とても15の子供とは思えない、光の中にも闇を知る眼差し。
敵国に軟禁される立場にあって怯えの影も見えず、断固たる誇りと意志を
宿した瞳。清らかさとは程遠いのに、なぜか冒しがたくもある。
そしてまとった衣装は、最初はオーミのものかと見紛ったが、よく見れば
違う。ネツァークの装束を俄仕立てでオーミ風に着ているらしい。
なるほど。これがライゾか、と女帝は思った。
子供ながらに王の尊厳と男の意地を持ち合わせた少年。
そんな子が、理由もなくこうまで自分に似合う服を心得て演出したりは
しないだろう。飽くまで居丈高に顔を上げたりも。
この少年は、自分を高く見せようとしているのだ。美貌で惹きつけ、
度胸を見せつけ、知性を窺わせて、北海一の帝国の主と同じ土俵に立てる
者だと主張している。
腹芸はまだ不得手と見えるが、非凡な少年の平凡な部分は好ましいものだ。
素晴らしい買い替えができそうだと、アツィルナは大いに期待した。
「そうですね。陛下ほどの方を買い上げられるものならば、国を挙げても
惜しくはありませんわ。
アマルーとやら、望みの対価を申しなさい。」
「ありがたき幸せ。恐れながら申し上げます。
金貨で5万サーラ。それから皇帝陛下のご署名をひとつ。私の望みは
それだけでございます。」

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ライゾが鳥籠に軟禁されてから3日。
アツィルナはライゾをどう使うか思案中だった。
というのも、ベルカナとの共闘密約の覚書が、まだ手元に戻ってこない。
後顧の憂いを払うべくそれを盗み出すよう指示したのに、
ベルカナ敗戦から2週間、間諜からの連絡は途絶えたままだった。
このままベルカナに与していては、遠からず自分の首を絞めることになる。
しかし足元を固めずに寝返るのはもっと危険だ。
さらに恐ろしいのはオーミとベルカナを同時に相手取ってしまうこと。
アツィルナは思案の末、しばらくはライゾの存在を隠し、その間に
とりあえず先に送った間諜を、他の者に探させてみることにした。
同時に王を欠いたベルカナとオーミ、そしてもうひとつの勢力である
商業大国マクールへ、公式使節と間諜を送り、表と裏の両方から
各国の動きを探らせる。
ライゾが手の内にある限り、どう転んでも道はあるはずだ。
今のところは移送などして下手に目立たせるより、このまま港町の鳥籠に
おいておき、アツィルナは一旦首都ビルレストへ戻ることにした。
手の離せない事態は、帝国の南にもあるのだ。

一方、すぐにも首都に移送されるものと思っていたライゾは、鳥籠で
無為に3日を過ごした。
北海一の女傑をどうにかして陥落させたい。けれど肝心の相手が、
あれ以来一度も鳥籠を訪れないのではどうしようもない。
けれどこのままここを脱出できたとしても、手ぶらで帰国するのは
あまりに屈辱的なので、ライゾはアマルーとの契約を変更しようと
考えた。
夜を待ち、鳥や虫の鳴き声にまぎれて、ライゾは窓辺で呼びかける。
「アマルー、いるか」
アマルーは金貨と建国承認の署名を受け取った後、早々に国外退去を
命じられていたので、今はライゾとの契約のため、近くに潜んでいる
はずだ。
御前に。」
もう聞きなれた低く渋い嗄れ声が、飾り格子を嵌めた足元の通気口から
ひそかに入り込む。
まるでそこに顔を寄せて話しているような声の近さに驚いて、思わず
ライゾは一歩下がった。
「どこから話してる?」
「御用をどうぞ何なりと。」
「契約内容を変更したい。」
「よろしゅうございます。」
内容も聞かずに承知するとは本当に果たす気があるのかと、危ぶむ
ライゾの様子を察し、アマルーが付け足した。
「なんにせよここから陛下をお逃がしするよりは容易くございましょう」
200人が警護するウルマーロ宮は、さほど大きくない。
見つかれば捕縛されるだろうアマルーの立場であれば、それもそうだ。
「ドゥネイル地方の反乱の現状を探ってきてほしい」
帝国の南部に上がった大規模な反乱の火。膠着状態に陥っていると聞く
反乱軍とネツァーク正規軍の睨み合いは、今この時も続いているはずだ。
「元ドゥラスロール公国の残り火ですね。承知いたしました。
なれど私が戻るまで陛下はここにおられましょうか?」
「ああ、心配するな。そっちこそ、逃げるなよ」
「そのお言葉は心外ですな。私は陛下の御為になら一身を賭す覚悟で
ありますものを。」
嘘をつけ。
確かにハガラズは不思議な島だった。わずか3日の滞在で、ひと月も
休んだように体が回復した。
けれどその間アマルーは、危険な蛇の巣や一見して分からない崖など、
知っていながらライゾに言わなかった。
聞かれなかったから、と。
嫌な奴だと、ライゾは思った。
下手をすれば調べもせずに、捏造した情報を持ってきてもおかしくない。
ライゾは衣装箱から取り出した金の腕輪をひとつ、通気口から外に投げた。
「待皇の紋章が入ってる。通行手形に使え。」
売っても大した額にはならないが、身の安全は保障される。
初めからない誠意を無理に引き出そうとするよりも、安全に買える
程度の情報を、裏切られない程度の保障で持ってこさせるほうがいい。
代金の支払いが帰国後なのは了承済みなのだから。
「次第によってはおまえに払う金を、ここで稼いでいけるかもな。」
「おお、いと高きお生まれにありながら何と謙虚なお志。
感服いたしました。されば陛下のお望みのままに、我と我が身を
捧げましょう。」
アマルーの気配が瞬く間に夜に溶けて消える。
鳥籠を囲む針葉樹の垣根の内側、衛兵から見えない場所の地下に
抜け道があるらしい。
どうにかしてそれを調べておけないか考えていた矢先、福音は5日後の
昼下がりにもたらされた。
「どなた?」
格子窓の外から背伸びして中を覗く10歳すぎの少女。
ふわふわした栗色の巻き毛と、濃褐色の大きな瞳が何の翳りもなく
輝いている。
木のうろから顔を出す子リスそっくりの愛らしい少女は、小首を傾げて
屈託のない声で聞く。
「どなた?ここで何をなさっているの?」


つづきます


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国王の値段(黄金の太陽13回目)

テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

ネツァーク帝国首都ビルレスト。
それ自体がひとつの街でもある広大な王宮、
シンフィエトリ宮で、女帝アツィルナ・マルクトは、
手にした読書棒をとり落とした。
「敗戦!?」
黒檀の読書机から立ち上がり、使者の手から報告書を受け取る。
<ベルカナ国王バラゴ・ラグレン、ライゾ王との一騎打ちにて戦死。
王太子ガラドラル・バレッジ捕縛。
提督タイトン・ブリモーネ、負傷にて捕縛、まもなく死亡。
提督リグザディッド・ガンディ、戦死。
以下、艦長総数160人中、戦死者80人、負傷者60人。
戦闘兵小隊長510人中、戦死者200人、負傷者180人。
兵員、漕ぎ手、水夫はそれぞれ約半数以上の犠牲。
オーミ海賊団における船長以上級の戦死者はガンディ提督と相討ちの
ヒワ総督リハゴが副官モルドをはじめ、200人中40人、負傷者60人。
いずれも左右翼に集中する。
戦闘員、漕ぎ手、水夫の犠牲は総合的に三分の一以下程度にとどまる。
さらに王太子を除いた捕虜、約200人がオーミ船団の帰国前に
船ごと火を放たれ沈没。
ダラテナ海戦はオーミの完勝にて終戦。>
実にまずい結果だった。
「分かりました。下がってよろしい。」
その結果いかんでは後に続いて利益に預かるべく、近隣諸国は
この海戦に熱いまなざしを向けていた。
見守るにとどまった国がほとんどだったのは、偏にこれまでのオーミ
海賊団の実績ゆえだ。
女帝アツィルナ・マルクトがそれを押しても艦隊を出した失策の
原因は、ライゾ王に関する情報の少なさだった。
立太子式の日まで彼が人前にも現れなかった理由を彼女は誤解したのだ。
神殿の奥深くに隠れるように育った少年に、老いたりといえど
あの戦好きのオルドルを撃破できるとは到底思えず、9割がたバラゴの
勝利を確信していた。
バラゴ本人でさえそのつもりだから自ら出陣したはずだ。
だからこそ下手を打つつもりもないが利に遅れる気もない女帝は、
少年王の品評もかねて、バラゴに同盟を匂わせもし、密約ながら共闘も
約束したのだった。
実際には戦闘に参加しなかったといえ、覚書は効力がある。
女帝は切歯扼腕した。
最上と信じて買った品物より、もっと良い物を見つけてしまったのだ。
仕方がないのでベルカナの懐から密約の覚書を盗み出し、オーミには
戦勝祝いを贈ろうと手配していた矢先、彼女に買い替えの素晴らしい
好機がもたらされる。
ベルカナ敗戦の報より10日後、帝国最大の港町ミヅァスートから
送られてきた使者によって。
ミヅァスートを治める女帝の愛人の一人、ナナ・ユーレリアン・
アストール。その名においてシンフィエトリ宮に飛び込んできた使者は、
女帝好みの黒髪と精悍で知的な容貌を持つ長身の伊達男だ。
アザト・コーヴァと名乗った使者は書状を携えない密使だった。
女帝は人払いし、口頭でその知らせを聞く。
「昨日ミヅァスートの門に、ケセド・アマルーと名乗る男が少年を一人
連れて現れ、陛下と取引したいと申し出ました。
その様子が尋常でないためアストール考皇が自ら検分を行い、男が
連れていた少年が、オーミのライゾ・ミュゼファン新王と判明したため、
私が遣わされた次第にございます。
現在二人はアストール考皇のウルマーロ宮内、<鳥籠>にご滞在中です。
彼らの今後の処遇と申し出について陛下のご下命を賜りたく、
何卒ウルマーロ宮へお運びくださいますようお願い申し上げます。」

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アツィルナは首都の留守を宰相に預け、財務長官、宮廷書記官、
陸軍総司令官にウルマール宮への同行を指示すると、その日のうちに
アザト・コーヴァと馬車に飛び乗った。
「詳細を聞かせていただきましょう。」
こげ茶の髪を結い上げたふくよかな体が、馬車の揺れに合わせて
振動する。上品な旅装と控えめな化粧の中で、唯一濃く引いた眉の
下から、力強い目でコーヴァを注視していた。
その視線を、不遜なほど真っ直ぐに受け止めて彼は答える。
「現在ミヅァスートの駐屯中のフレカステイン連隊の一個師団が、
ウルマーロ宮の別棟<鳥籠>の警備に当たっております。残りは
緊急時の配備体制で街の警護を」
「あら、お待ちなさい。」
思い出したようにアツィルナが遮る。彼女の、周囲を押し払うような
威容が声音をも高圧的に感じさせる。
「ティファレットはどうしましたか」
それは彼女の第9子で、4人の息子と5人の娘の末子である
12歳の少女だ。
「内親王殿下はまだ都には戻りたくないと仰せで、今はアストール考皇が
つききりでいらっしゃいます。」
ネツァーク貴族の称号は上から考皇、等皇、伺皇、待皇の4段階である。
等皇は5代以上続いた貴族、考皇は皇家の血筋と決まっていた。
「そうですか。ナナがついているなら、そう案じることもないでしょう。」
そして皇家に縁のない考皇を、アツィルナは3つの名で呼ぶ。
帝国のアストール、ティファレットのユーレン、私のナナ、と。
アツィルナには名前だけの夫がいる。
クーデターによって帝位についた彼女は、皇家直系の血筋を奉る
旧勢力のうち、過激派には容赦のない粛清を加え、穏健派を抑える
ためには殺害した先帝の子である精神薄弱の青年との結婚を選んだ。
当然彼女が生んだ9人の子供たちは、亡き母を泣いて恋しがる
夫ではなく、3人の愛人たちを父親としている。
頭がよく、控えめで野心がなく、優しげな風貌を持つ青年貴族ナナ。
アツィルナより10歳若い彼は、ミヅァスートの領主にして
ティファレットの実父である。
ティファレット本人も、一日中執務室にいる母親より、愛情深く
面倒見のよい父親に懐いており、彼が領地へ戻るときには必ず
同行し、滞在した。
「それで、ライゾ王とはどのような人物でしたか」
「ちょうど15歳におなりだそうですが、かなり大人びて見えます。
噂どおりすばらしい美貌の持ち主で、4ヶ国語を操り、身のこなしには
武人としての冴えもお見受けします。」
コーヴァは艶やかな甘さを含んだ黒瞳でアツィルナを見つめて話す。
その容貌がひどく自分好みであることに、彼女はようやく気づいた。
「尋常でない様子とは、具体的にどのようなものですか」
値踏みするようなアツィルナの視線に、やっと個人的な興味が
加わったと見ると、コーヴァはゆったりとした笑みを浮かべる。
「ケセド・アマルーと名乗る男は、ライゾ王を捕らえたと申し出ましたが
人質と掠奪者というよりも、何と申しましょうか、海賊と詐欺師が
結託して連れ立っているような雰囲気でした。
アマルーは片時もライゾ王のそばを離れず、誰にも指一本触れさせず、
そればかりか手荒く引っ立てようとした兵士たちの腕を3本折り、
ライゾ王を足蹴にした男を執拗に殴り続け、遂には捕らわれのはずの
ライゾ王がそれを止めだてする始末でございました。」
コーヴァの音楽的な話し方、自身の魅力をよく表す表情の出し方に、
アツィルナは少し露骨に見つめすぎたかと、心の中で苦笑した。
「どう育てば、王子が“海賊のように”なるのやら。会うのが楽しみね。」

ウルマーロ宮の別棟<鳥籠>。
それは身分ある人質を監視するのに最適な、むしろそのために造られた
ものだ。
横に長い立方体の建物の、床は磨いた大理石。
嵌め殺しの大きな窓は、花型の金格子をめぐらせ、色とりどりの削った
水晶でステンドグラス状になっている。
たったひとつの樫財の扉は、窓と揃いの模様が美しい象嵌で、
その模様を組み替えて開錠する仕掛けである。
大ぶりの机は造りつけで、寝台には最高の毛皮を敷き詰め、大鏡と
衣装を入れた大きな櫃も用意され、人ひとり隠れる物陰も提供しない
完璧さだった。
馬を替える時と用を足す以外は、まる一昼夜、休まず馬車はひた走り、
アツィルナは徹夜の疲れも見せずに鳥籠へ直行した。
200人余りの兵が固めるウルマーロ宮の奥。
視界を遮る高い針葉樹の植え込みに埋もれた鳥籠で、
痩せた男が扉にもたれかかって座り込んでいた。
立ち上がると、アツィルナより小さい。
ばさばさの灰色の髪と黄みがかった茶色の目。
貧相な剣と汚れた身なりで、男はアツィルナに膝を折る。
「ご尊顔を拝し恐悦に存じます。ケセド・アマルーと申します。
英知の誉れ高く民の尊崇を一身に集める美しき皇帝陛下、
わたくしごとき卑しき身にお目通りをお許しいただきましたこと、
まずは御礼申し上げます。」
低くしゃがれた声で、似合わない慇懃な口を利く、痩せて汚れた小動物の
ような姿。
けれど、この眼は違う。これは強い反骨精神と、大望ある男の眼だ。
しかもこの状況は彼の手段を選ばない性格を、不似合いな美辞麗句は
不誠実さを表す。
こういう人物は目的のためなら平気で仲間を裏切り、契約を破って
嘘をつくだろう。
こんな男と一国の王が結託する?
アツィルナは直感した。あるいはそれは女特有の勘だったかもしれない。
この男には関わるべきでない。
ライゾ王がどんな人物であろうと、この灰色狼はさっさと用を済ませて
追い払うのだ。
「率直に話しましょう。ケセド・アマルー、私と取引をしたいそうですね。
まずは条件を、見せていただきましょう。」
「仰せのままに」
アマルーは仕掛け扉の細工をいとも容易く開けてしまった。アストールの
驚く顔に見向きもせず。
「皇帝陛下のお越しです。」
どうぞ、と中から聞こえた返答は意外なほど穏やかな声だった。
海賊のようだと聞き、さぞかし猛々しい様子をしているのかと
思ったのに。
室内に踏み込んだ瞬間、アツィルナは目を奪われる。
染み入るほどに鮮やかな碧眼。目も覚めるような黄金の髪。
淡い青鈍色と濃い瑠璃色を組み合わせたオーミの民族衣装をまとい、
ひとつの金飾りもなく、ライゾは窓辺に座していた。
背筋を伸ばし、視線を上げ、何の変哲もない肘掛け椅子を、
これこそ玉座といわんばかりに凛然と、神像さながらの佇まいで。

倒れて眠り込んだ船室からケセド・アマルーに攫われた夜、ライゾは
無人島でアマルーの剣の下に目覚めた。
「…ベルカナ人じゃないな。傭兵にも見えない。おまえ、誰だ?」
両手を後ろ手に縛られたまま誰何したライゾに、男はすらすらと話す。
「ケセド・アマルーと申します。ライゾ王陛下。
貴方様が今おいでのここは、ハガラズ。ダラテナ諸島のひとつである
地図上の無人島。その岩屋の中です。」
ライゾはぎょっとした。
ハガラズといえば、獣人一族が住むという伝説ゆえ立ち入る者もない
島だ。ライゾ自身は、危険な獣でもいるせいでそんな言い伝えが
できたのかと思っていた。
その表情にアマルーは察する。
「ご安心ください。ここは安全でございます。」
「目的は何だ」
アマルーの答えは、予想外のものだった。
「私は王になりたいのです。この無人島ハガラズに、自分の国を
作りたい。そのために北の海域3大勢力のいずれかに貴方様を売り、
その代価を元手に他の国々の承認を取り付けるつもりでございます。」
「国?こんなところにか?」
「はい陛下。」
ライゾは縛られたまま、胡坐をかいて向き直る。
「もう一度聞くぞ。目的は何だ。力がほしいなら、こんな場所は
選ばない。獣人伝説の無人島に何の価値がある。
おまえ、そのぎらつく目で何が見たい?」
ふうっと大きく息をついたアマルーは、いきなり剣を放り出し、
ライゾの前に同じく胡坐をかいた。
「さすがは陛下。美貌に名高く勇敢であられるばかりか、知力や
洞察力にも優れておいでのようで。」
心底、心無い賛辞だ。アマルーにとっては枕詞のようなものなのだろう。
ライゾは鼻で笑った。
「仰せのとおり、私が求めるのは力でございますよ。
ただし、確かに貴方様がたがお考えのそれとは違いましょうが。
ここに2、3日もおいでになれば、すぐにお分かりになりますよ。
ここの価値が。」
アマルーはぐっとライゾに顔を近づける。
「永遠です。それは不老不死の力。そしてこの世を操る予言の力です。」
この男、頭がおかしいのか。
「荒唐無稽に聞こえるのは、無理もございませんな。
けれど私はこの目で見たのです。そして彼らは私にそれを約束した。
彼らを、奇妙な声で変わった言葉を話す彼らを、貴方様がたが
獣人と信じて近づかずにいてくださる限り、ここは私には楽園でして。
彼らもまた、ここを守ることを望んでいる。
だから取引したのです。私は約束とここを守り、時が来れば
世界をこの手にするでしょう。」
「彼ら?」
「ナーカル伝道団ですよ。」
当然知っているもののように、アマルーは話す。
「もちろんご存知ですね?」
「いや、初耳だな」
「これは、妙ですな。陛下。失礼ながら、御身は間違いなくオーミの
ライゾ王様でしょうな」
「ふん。そこは確かだ。」
「オーミでは即位の式次第で秘儀としてナーカル碑文を見るものと
聞き及んでおりますが」
瞬間、ライゾは身の竦む思いがした。
登極の手順のなかで、もっとも重要とされながら行えなかった秘儀。
冬の間に、神殿中の記録を漁ったが、結局見つからなかった。
「黄金神殿の、碑文か?」
「ああ、やはりご存知で。そらとぼけるとはお人が悪うございますよ。」
予言、ナーカル、ソレイ、碑文、黄金神殿。
一気に噴出し、心に渦巻く疑問。けれどここで知らないとばれれば
ろくなことにはならないだろう。予感だが、確実なはずだ。
ならば気づかれないように、探るしかない。
それまでこの男は手放せない。
不老不死?世を操る?
話す内容は信じる気も起こらない与太話だが、ここで逆らえば
間違いなくベルカナへ売られるだろう。国王を討ち果たしたばかりで
敵国へ引き渡されては、命がない。
それがマクールであっても同じこと。コクマ・エリントの欲にかかれば
幾ら吹っ掛けられるか分かったものではない。
オーミの立場が悪くなりすぎる。
となれば残るは日和見主義のネツァークだ。
ダラテナ海戦では艦隊を退いたこともあり、今なら女帝はオーミの王と
進んで事を構えはしないだろう。
またネツァークの懐へ入り込めば、何か今後に役立つ情報が拾えるかも
しれない。願わくば己の身代金に代わる弱点を。
「アマルー、ならこうしよう。
俺はおとなしく売られてやる。ただしネツァークへならだ。
そしておまえが女帝から金と建国の承認を取り付けたら、今度は俺が
おまえを雇う。俺の脱出に手を貸せ。見事逃げおおせた暁には
共にオーミへわたり、そこで金を払う。おまえが女帝からせしめる
二倍の額を。船もつけるぞ。おまえはそれに乗ってマクール王に会いに
行けばいい。どうだ?」
協定が成立すると、アマルーはライゾの縄を切って息をつく。
「陛下、私は時に虚言を弄しますが、今のところ陛下には真実しか
申し上げておりませんよ。その証拠を、ネツァークでお見せしましょう。」
人を強奪し、煙に巻いて利用する男のどこに真実があるものか。
それでも契約さえ守らせられるなら、嘘でも真実でも、こいつの頭が
おかしかろうがどうでもいい。
勝ち戦に油断して、みすみす身柄を掠め取らせ、国家の危機を招いた。
その失態を挽回するため、全力で女帝をたらしこみ、自力でオーミに
帰還してみせる。
そう決心し、ライゾはネツァークの地を踏んだのだった。


つづきます

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ダラテナの海戦(黄金の太陽12回目)

テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

外の騒ぎを遠くに聞く、暗い船倉は静かだった。
次第に緩慢になってゆくイーサの心音が聞こえるほどに。
「殿、下、ライ、様」
命は血に溶けて流れだし、いまやライゾの髪は赤鷲と同じ色になった。
浅く早い呼吸の間隔がだんだん短くなってくる。
「私の、命を、あな、なたに、まし、たまし、い、は、我、が陛」
無理やり紡いだ言葉の最後は声にならず、呼吸が急激に早まった。
それが再び失速すると、視力のなくなった目に瞼が落ちる。
肺が酸素を受け入れなくなり、吐息のみになって数瞬後、ライゾを
抱いた腕から完全に力が抜け、床へとこぼれた。

何か、温かいものが頬に触れている。
ゆうらりと、体を包む心地よい揺れ。
懐かしい。この温かいものは、なんだろう?
奇跡のように、その命を注がれたように、ライゾは静かに目を開けた。
遠くから耳に届く慣れ親しんだ波音と、戦いの鯨波。
身を包むのは、わだつみの抱擁。
頬に感じるのは、温かい血のぬめり。
目を開けたもののよく見えず、首と指を少しずつ動かしながら、
ゆっくりまばたきを繰り返す。
ぼやけた視界が輪郭を取り戻すと、もたげた頭の眼前に
父のヤヴンハールの顔があった。
「イーサ」
かすれて出ない声を絞り、その胸から身を起こす。
「イーサ」
何度か呼んで、ようやくライゾは彼が絶命していることに気づいた。
優しい笑みを口元に浮かべ、頬に赤みが残る顔。
きれいな死に顔。穏やかに、満たされた顔。
その赤く染めた髪と、脇に転がった金の仮面を見たとき、ライゾは自分の
すべきことを直感する。
イーサの血に染まった髪を両手で梳き上げ、仮面を付け、何度も膝を
折りながらようやく立ち上がった、その途端、半開きになっていた船倉の
扉が勢いよく外から開かれた。
「どういうことだいこりゃ」
急な眩しさに片手で目をかばい、指の隙間からこぼれる光で少しずつ
目を慣らせて、やっと確認できたのはライゾにとってよく知った顔だ。
「エルストラ」
「おうさ」
返事をしてすぐに彼女はこの赤鷲もどきの正体に気づく。
「おやまぁひどい声して誰かと思えば」
ずかずかと踏み込んでくると、彼女は無遠慮に仮面を引き剥がす。
「あたしの愛しい美少年じゃないか」
美少年。
初めて会った時から、西門とブーイの港の総督たる町の領主にして
女海賊エルストラは、それ以外の名でライゾを呼ばない。
戻らない平衡感覚によろめき、倒れ込んできたライゾの体を嬉々として
抱きとめ、彼女は両腕を絡み付けて撫で回す。
「随分とくたびれた顔だけど、あんたは会うたびあたし好みに育って
くれるね」
彼女は両手でライゾの顔を押さえ込み、熱烈に口づけた。
戦の昂りにまかせた、色気のない口づけ。
「一体どうなってんだい。赤鷲が先駆けだっていうからさ、てっきり
あの女があたしと決着つけにくるんだと思ってたよ。あのたれ乳の
赤毛がさ。」
一人称でなんとか性別を公示しているようなエルストラは、
美少年に目がない。
彼女は町で気に入った少年に声をかけては、自領の館で陸にいる間の
身の回りの世話をさせていた。花御殿と呼ばれるその館では、まさに
花のような美少年がいつも10人ほど、彼女の帰りを待っている。
エルストラは彼らの要望に応じて、身入りの良い将来の仕事や
高水準の教育、昇殿(神殿への就職)の手伝い、時には花嫁や現金を
約束し、確実に与えた。
魚心あれば水心。強引なことはしない彼女だが、過去に3度少年を
拉致しようとしたことがある。そのうち2回はライゾを狙ったもので、
彼の身分を知らないエルストラの魔手を妨害し、撃退したのは
イェーラだ。
「どうせあんたに約束破らせてるのもあの女だろ」
ライゾはたった今思い出した。かつて彼女と交わした淫蕩の約束事を。
イェーラが2度に渡る彼女の襲来を退けた当時、ライゾは11歳。
すでに13~4歳の体格を持ち、娼婦と遊ぶことを知ったばかりで、
イェーラに悟られないようエルストラと約束したのだ。
こっそりブーイに上陸できたときには、花御殿を訪れると。
エルストラにとっては狙って手に入らなかった唯一にして最上の獲物。
彼の申し出は渡りに舟、一旦館に入れてしまえば寝台に縛り付けてでも
帰す気はない。
そんな思惑を振り切って、ライゾは見事に花御殿から脱走した。
そして半年後には、また約束通り彼女を訪れたのだ。
行けば十日は放してもらえず、手を変え品を変え監禁しようとする
彼女の元から脱走同然に逃れるゲームを、ライゾはそれなりに
楽しんでいた。
ところが神殿に帰って以来、彼は約束したことさえ忘れていたのだ。
充実した日々、そして試練の日々が、彼の身に宿る熱を糧としていたから。
「せっかくあんたによく似合う金の鎖を用意してたのにさ。
昇殿しちまった女なんかとっとと見限んなよ。まったくどこがいいんだ
あんなでかいだけのババァ。あいつきっと入れ歯で水虫だぞ?」
なんの根拠もない悪態をつき、彼女はもう一度ライゾに思い切り口づける。
「で、どういうことだい。あんたは赤毛の船にいるって聞いたけど。
あ、あぁーあ、赤毛の船にいるって聞きゃあたしがそっちへ
行くだろうから裏をかいたってかい」
ライゾはすぐそばの樽から水を飲もうと蓋を開けた。
が、自分が入れられていたらしい倒れた樽から、小さな革袋が
はみ出ているのを見つけ、拾い上げる。
「それともほんとにあたしの所へ来る気になったのかい美少年」
絡みつく腕にかまわず栓を開けると、液体が入っている。
ふわりと蜂蜜の匂い。飲むと少し塩の味もする。
どれほど眠っていたか知らないが、きっとイェーラが定期的に
含ませてくれていたのだろう。
それが命を繋いでくれたのかもしれない。
むせないようゆっくりそれを飲み干し、大きく息をついた。
「戦況は」
「まずいね。もうちょっとでベルカナが片付くって時に、
ネツァーク艦隊のご登場さね。ご丁寧に朱塗りの正規軍で、もう
半センクもせずに突っ込んでくるだろうよ。もっとも朱塗りがくすんで
あたしには下痢糞色に見えるがね。」
「なら下痢糞をかぶる前にベルカナを殲滅するってことか」
「できんのかい?相当具合が悪そうだけど」
「指揮官は?」
「旗艦は4隻。バラゴ、ガラドラル、ガンディ、ブリモーネ。
あんたまさかこの樽ん中に入ってきたのかい」
「なら実質はバラゴ一人だ」
再び仮面を付け、船倉に無造作に置かれた剣と手斧を、ライゾは
2本づつ腰帯に挟んだ。
「樽に入るのは何かの練習か?」
船倉から甲板へ出ると、久方ぶりの潮風が心地よい。
体はふらふらなのに、踊る波飛沫や水の匂い、肌を焦がす太陽と
吹き渡る風が、ライゾのすべてを揺り起こす。
バラゴ旗艦へ渡る縄梯子に足をかけ、ライゾは見送るエルストラを
振り返った。
「エッダ!」
彼女のあだ名も、懐かしい。
「今度上陸したら、おまえが月神殿に来い!」
「あんたも昇殿したのかい」

迫り来るネツァーク艦隊に、オーミ海賊は焦りを隠せない。
完全に後ろへ付かれれば退路を断たれ、四方を塞がれ、生殺与奪は
ベルカナのものだ。
「イングス船長!船を後方に差し向けますか!」
しかし朱塗りの艦隊が、帝国軍旗<翼ある獅子>どころか将軍旗すら
掲げていないことを確認したイングスは笑って答える。
「物見遊山の輩なんぞ捨て置け!」
どちらが勝とうが言抜けできるように旗を上げず、朱塗りのくせに
無国籍を装う図太さに、イングスは勝機を見たのだ。
オーミが劣勢となればたちまちネツァークはベルカナと一緒になって
オーミを叩く。つまりここでさっさとバラゴを押さえてしまえば、
ネツァークはもはや手出しせず見物に徹するだろう。
寝返る可能性さえある。
それには一刻も早く、ベルカナに対する勝ちを確かなものにすること。
それをネツァークの眼前に見せつけ、女帝の心変わりを誘うのだ。
エフワズの読みは、当たったらしい。
イングスの猛攻は熾烈を極めた。

「王太子を捕らえたぞ!」
その報が波に運ばれバラゴの旗艦までたどり着いたころ、ライゾは
すでに赤鷲の名乗りを上げていた。
ユミルは不死身と海賊たちの歓呼を受け、聞き分けの悪い肉体に
精神力ひとつで鞭打つ。
陽光にさらされて蘇る、かつて馴染んだ血の滾り。
熱く野蛮な戦闘の快感が、足元から吹き上げて心身を虜にする、
あの感覚が欲しい。
海の精霊が、この身を乗っ取り、操ってくれればいい。
ライゾは心を空っぽにして、突き上げる熱狂に全てを明け渡す。
すると不思議なことに、先ほどまで感じていた体の軋みや痛みが遠のく。
頭痛が消え、考えるより早く体が動く。
周囲の動きが遅く見えた。
3人まとめて突進してくる敵兵を前に、ライゾは双剣を上空へ
投げ上げ、踏み切って真ん中の兵士の頭頂に手を付き大きく開脚して
飛び越える。着地と同時に落下してきた剣を受け止め、左右2人の
心臓に突き刺した。と、剣を引き抜けない。
その刹那、残った一人がライゾの背後から振り下ろした剣を、
背中を大きく反らせてかわし、そのまま上半身を前倒すと、
左足を軸に体を半捻って右足を振り上げ、相手の右頬を蹴り下ろす。
衝撃で体が半回転した男の頭蓋に、ライゾは腰帯から抜き取った
手斧を叩き込んだのだ。
舞踏のような一連の動きは、人目を引かずにおかない。
筋肉の発達とともに失われがちな柔軟性を、ライゾは郷土芸能でもある
フィムブルズで補った。
王都グリームニルのヴェグタム湖に飛来する渡り鳥フィムルを真似た
その舞踊は、筋力と柔軟性の双方を必要とする。
より地面に近く優雅な女舞いに対し、男舞いは軽業や大技が多く、
驚異的な滞空時間と空中での動きに重点を置く。
馴染みの娼婦が薄布一枚で踊ったその美しさに魅せられ、ライゾは
彼女から性技のみならず舞踊も習ったのだ。
作法の教師が目を剥いて禁止したそれを、彼は戦術に応用した。
一人倒すごとに次第に五感が研ぎ澄まされ、ライゾは海賊に
戻っていく。
倒れた兵の胸から双剣を引き抜くと、ふと、視界の端を
ちらりとよぎった、泡立つ波濤と銀色の影。
ライゾは足を止めた。
恐ろしく長い剣を左手にもち、銀の甲冑に身を包んだ長身の老戦士。
バラゴだ。
「赤鷲に化けるとは妙案だな、オーミの新王よ。」
寄る年波に濁りつつも力を失わない茶色の瞳が、兜の中から主張する。
己こそが無敵の覇者だと。
肉の落ちた老身に似つかわしくない見上げた気力だ。
ライゾは仮面をかなぐり捨てる。
「お出ましか、バラゴ・イレ・オルドル殿」
バラゴを守ろうと押し寄せるベルカナ兵と、それを阻止するオーミ海賊で
2人の周囲は乱戦の渦となり、中心はさながら台風の目だった。
ライゾは血染めの双剣を、目の前で音を立てて交差させる。
バラゴは右手に短剣を構え、左の長剣をゆっくり持ち上げた。
互いに隙を探してにらみ合うこと数秒。
踏み込んだのはほぼ同時。
ライゾの左右同時の斬撃を、バラゴはひとまとめに下方へ押しやって
躱しつつライゾの脇へ飛び込んで一回転、ライゾの背後からその腰元へ
水平に剣を振り出した。肉薄の長剣をライゾが後ろ手に受け止めた途端、
打ち合いが始まる。
長短合計4本の剣が激しくぶつかり合い、金属音と火花が散った。
打ち込み、かわし、受け止め、押し返す。
やがて一際大きな音を立てて4本の剣が噛み合い、鍔迫り合いが
始まった。
双方一歩も引かず、渾身の力で押し合う。
しかし一瞬早く、ライゾの剣の一方が折れた。直後バラゴの短剣が
弾き飛び、押し勝ったのはバラゴの長剣だった。
咄嗟にライゾは後方へ飛び退いてその剣勢を避けると、尻から床に
転んだついでに剣を拾いながら後転して立ち上がる。
肩口から胸元にかけて一筋の浅い傷。切れた服の下から滲む、
出血は多くない。
ライゾは右手に剣を構え、バラゴを窺う。
剣の長さ、間合いの広さはバラゴが有利。鎧をつけていない分、剣が
当たれば傷が深いのもライゾの方。
イングスの腕力でもなければ、甲冑ごと相手を叩き割るなど不可能。
鎧の隙間を狙って鎖帷子へ斬り込むには、剣の刃こぼれが多すぎる。
残る手段は急所への突きのみ。
どこを、どうやって。
考えながらライゾは腰帯に挟んだ最後の武器、手斧を引き抜いた。
左手での投擲に自信はない。が、右手と持ちかえる暇はない。
その柄は短すぎて、長剣の止め太刀にも不都合。
周囲は戦闘の渦。それを超えれば背後は船室の壁。
数で劣る海賊たちが、ベルカナ兵を完全に押さえておける時間は、そう
長くないだろう。自分も限界は近いどころか超えている。
よく見ると、バラゴも息が上がっている。
先程のような大きな動きを繰り返すには、鎧は重すぎ、
体は老いすぎているから。今すでにかなり苦しいに違いない。
恐らく次の一撃で勝負を決めようとするだろう。
ならば勝ち残る方法はひとつ。
バラゴにできず、自分にだけできる戦い方だ。
狙いを定め、ライゾは手斧を投げた。同時に踵を返し、船室に向かって
走り出す。
「道を開けろ!」
手斧を避けたバラゴが、海賊たちが開いた道にライゾを追う。
「逃がさんぞ小童!」
走るライゾの背中めがけて長剣が振り下ろされる。
かすかな風が背筋をかすめ、ライゾは勢い船室の壁を垂直に駆け上がり、
3歩目には身を翻して宙に舞う。瞬間、落下の力に体重を加えた剣を
バラゴの鎧と兜の隙間からうなじに深々と突きたて、ライゾは
その背後に着地した。
銀の甲冑が血を吹き出し、どぉっと音を立てて倒れ伏す。
バラゴはそのまま、もう動かない。
それを見た水夫の一人が、声を張り上げた。
「赤鷲がバラゴを獲ったぞ!」
ダラテナ海戦の勝敗は、ここに決した。

甲板に転がる無数の死体と、抵抗をやめたベルカナ兵たち。
海賊たちの勝利の雄叫びが海を揺るがす。
ライゾはふらつく足で甲板を歩き、船縁へつかまると、身を乗り出して
吐いた。さっきの蜂蜜水が少し出ただけだが、眩暈がひどい。
その場で目を閉じ、呼吸を整える。血だらけの剣を放り出し、
船縁にもたれかかって座り込む。
そして目を開くと、そこにイェーラがいたのだ。
古参の水夫が二人を指差す。
「おい、ありゃ王子さんじゃねぇか」
「おう、ほんとだ。王子さん元気?」
「戻ってきたんか?」
イェーラはライゾの前に跪き、その手の甲に額をつけた。
「陛下、よく、ご無事で、よく」
感極まって涙を流すイェーラに、古参の水夫は片眉をつり上げ、
「陛下?」
漕ぎ手が仲間と顔を見合わせる。
「王子さんって、そりゃあだ名だろ。今度は陛下になったってか」
イェーラは膝をついたまま、高らかに宣言する。
「皆聞け!この御方がライゾ・ロヴァルギス・ミュゼファン様、
我らが国王陛下だ!」
一気に衆目が集まる中、苦しげに息を継ぎながらライゾは立ち上がった。
イェーラが支えようとしたが、ライゾはもう一度身を乗り出し、えずいて
前のめりに海中へ落ちる。
慌てて飛び込んだイェーラと二人、甲板へ引き上げられると、
海賊たちが歓声を上げた。
「おい聞いたか、陛下だってよ陛下!」
「王子さんが王様だってよ!」
「すげぇ!王子さんがほんとに王様になっちまったってか!」
「ユミルの格好なんぞしくさってどこのどいつかと思いきや」
「陛下だってよ!」
「そりゃすげぇ!」
荒い息をつきながら、ライゾは軽い笑い声を立てる。
波に洗われて明るい金髪に戻った髪を両手で梳き上げ、空を仰ぐと、
ネツァーク艦隊がゆっくり全艦を反転させ、進路を南へ向けて
出帆するのが見えた。
この時の破れるような大歓声は、一生忘れないだろう。
ライゾ、ユマラ、ライゾ、と交互に響く大音声を。
その声に与えられる新たな力を宿した紺碧の瞳を、イェーラが見つめる。
「陛下、15歳のお誕生日です。」
そんなこと、すっかり忘れていた。
オーミに誕生日を祝う習慣はないが、これほど感慨深い誕生日は
二度とないだろう。
人として生を受けたと同じ日に、王としての命を得た。
人々の熱情に支え上げられ、ようやく呱々の声を上げることができた日。
あの鎮魂の宮で、自らの決断に打ちのめされながら懸命に頭を上げようと
祈った願いが、叶えられたのだ。
身が震えるほどの歓喜に、ライゾは目の前のイェーラを強く抱きしめる。
「ありがとう、イェーラ、おまえのおかげで、俺は生きてる」
「陛下、陛下、よく、お目覚めくださいました…!」
痺れるような充足感に満ち、ライゾは安堵の中で目を閉じた。

船室の狭い寝台に眠るライゾを運び込み、イェーラがそこを離れたのは
ほんの僅かな時間だった。
イングスが凱旋のために船列を整え始め、イェーラが船倉から食料を
持って戻ってきたとき、すでにライゾの姿はなかったのだ。
イェーラはほとんど恐慌状態で船内を駆け回り、ライゾを探す。
見つからず、焦ってイングスの船に使いを出そうとしたとき、
波をすべる小型船が、彼女の視界を掠めた。
一番小さい伝令用の小型船は、魔法のような猛スピードで波を間切り、
ダラテナ諸島へ向かう。
「なっ、あれは」
紛うことなきオーミの小型船が、全速力で船隊を離脱していく。
「伝令船を出せ!あれを追うんだ!」

つづきます

4章 ダラテナの海戦 |トラックバック(0) |コメント(0)

プロフィール

シカピ

Author:シカピ
数年前、とある美声にひと耳惚れし、
そのまま声フェチに、そして
ヤンデレに行き着きました。
同じ道を通った人、いますか?

真冬以外は年中花粉症です。

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